中国人の劉さんが来訪。
きけば、国費留学で来日、なんと東京工大でシステム工学で博士号も取っている。来日してもう38年になる。
彼は、毛沢東が指導した、下放運動(上山下郷運動:じょうさんかきょううんどう)を体験している。
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下方運動は文化大革命期の、毛沢東主席の指導によって行われた。青少年の地方での徴農(下放)を進める運動の。都市部の青年層に対して、地方の農村で肉体労働を行うことを通じて思想改造をしながら、社会主義国家建設に協力させることを目的とした思想政策だ。ちょうど紅衛兵運動とリンクしている。
都市と農村の格差を解消する大規模な実験であった。その数、10年間に1600万人。行き先は雲南省、貴州省、湖南省、内モンゴル自治区、黒竜江省など、中国の中でも辺境地だ。
多くの青少年は「毛主席に奉仕するため」として熱狂的に下放に応じた。「広闊な天地にはなすべきことがたくさんある」などのスローガンのもと、辺境の農村に住み込んだり生産建設兵団で開墾作業に従事した。
しかしやがて、地方と都市とのいちじるしい落差や農作業の厳しさに苦しむ。習近平総書記も少年期に下放を経験している。
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ぼくは、下方運動を体験した世代では、東京女子医大の女医さんを知っている。
彼女は10代の頃、ものすごい辺境の地に行かされた。
そこは、家主が首吊りをして空き家になっているところで、首吊りをしたロープがまだ天井からぶら下がっていた。
はじめの仕事は、そのロープを切ること。そして、置いてあった空っぽの棺桶2つを、診療所の椅子とすること。ひとつは、クスリの箱にした。
そのようなものすごい体験をして、縁あって国費留学で来日。その女性も劉さんも、医者となり工学博士となって日本で活躍している。
まことにたくましいことだと感銘した。
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ただ、女医さんの方は、初期の下放運動で「批林批孔運動」の盛んなときで、孔子の教えは封建的でとんでもないと批判されていた時代。なので、諸子百家や、杜甫や李白などの話をしても全く通じなかった。「老子?それってどんな人ですか」という感じ。
劉さんのほうは、10年くらい若いので、諸子百家が復活していた時代。老子や孔子の話をしても通じる。
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「中国では、〝水を飲む時、井戸を掘った人の戸を忘れるな〟ということわざがあります。だから、日本はとても恩がある国です。」
──〝水に落ちた犬を打て〟ということわざもありますね(笑
というやりとりをした楽しかった。
ともに、いまの中国の繁栄のもととなったのは、鄧小平(とうしょうへい)であるというところで一致した。この話はまた、別の機会に投稿する。