細胞は、受精卵が二つ、四つ、八つと分裂して増えていって、数百個ぐらいになった時、初めて自分がどんな細胞になるかを決めはじめます。
つまり、細胞一つ一つは最初から自分の天命を知っていて、私は脳になる私は肝臓の細胞だ、と決めているわけじゃない。 指令書も持ってないし、誰かに命じられるわけでもない。
では、どうやって決めるのか? 実は前後左右の細胞とそれぞれ空気を読み合うんです。
空気というのは喩えですけれど、隣り合う細胞同士が接していて、情報や物質を交換したり、細胞表面の凸凹を互いに差し出したりしてコミュニケーションをとって、「きみが脳になるならば、私は心臓になろう」「きみが皮膚の細胞になるなら、私は骨の細胞になりましょう」と文楽人形のパーツのように細い糸で結ばれながら、互いに他を律して、自分の分担を決めていく。
(中略)
細胞一つ一つは全体のマップを持っていないのに、関係し合いながら、つながりながら、全体としてはある秩序を作れてしまうことが生命現象の最大の特性なんです。
(『せいめいのはなし』福岡伸一著 新潮社 2012年)
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自分の生き方は、いつも先が見えない。しかとしたビジョンなんてない。これまでは、「盲ヘビにおじず」「出たとこ勝負」でやってきた。まあ、それでなんとか切り抜けてきたんだなあと思う。
最初からきちっとした設計図とかビジョンがあるわけではない。
それだと、その実現に向けて努力することになる。
「ねばならない」というプレッシャーがあると、不自由でうまくいかない。疲れる。パワーが落ちる。
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「数珠つなぎ」ですすんでいくというのが、近ごろの感覚。
何かの縁をきっかけ、あるいはひらめきによって、ひとつ形にする。なんとか形になる。
するとそこから、それを縁として、なにか呼応したものがやってくる。
それでまた、形を作る。するとまた、響き合ったものがやってくる。
それでいろいろ繋がていって、最後のあたりに「おお、こういうことをつくろうとしていたんだ」ということがわかる。そんな気がしている。でも、いろいろとまだ見えない。たぶん、ずっと見えない。