過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

スマナサーラ長老のものがたり 身心脱落

スマナサーラ長老のものがたり、今回は特に難しい。何しろ道元の悟りの境地の説明。書いている私がわかっているわけではないし。ともあれ、投稿。
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道元の教えを、現代人の論理に合わせて語る。
それが私の課題とも思い、理論化していきました。

道元の言葉としては、「只管打坐」(しかんたざ:ただ坐る)。「修証一等」(しゅうしょういっとう:修行と悟りが同じ)「身心脱落」(しんじんだつらく:身心が脱落する、我がいない)の三つが大切なファクターです。

「只管打坐」(ただ坐る)というのは、妄想してはいけないということでしょう。でも実践を支えるテキストがなかったので、言葉の解釈がズレてしまい「ただ形だけで十分だ」と勘違いされてゆく。

ただ坐ったからといっても、心という巨大なエネルギーが働いている。ただ坐るならば、その心もストップさせなくてはいけない。
「石ころのように、置物のように坐れ」ということでしょう。石ころや置物は、自分では何もやっていない。そういうふうに坐らなくてはいけない
でも、それをやってみろと言われても、できるだろうか。できない。
その心をストップさせるための、実践するためのテキストがない。
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道元は「修証一等」(修行と悟りは同じ)といいます。
だから坐ればいい。しかし、坐ればいいんだったら、それだけでしょう。石ころのように坐る。

ほんとうにそれだけですか。
先生たちに聞いたら、そういうことでもない。
いろいろな論がある。定説がある。私が自説を述べると、それは定説で認められてないということになります。

テーラワーダには『大念住経』があるように、そのテキストがある。身体の動き、感覚の動き、心の動きに対して、瞬間瞬間、気づきを入れる(サティ)ことでストップすることができるんです。
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「身心脱落」(身心が脱落する、我がいない)とは何か。
道元は俗世間的な欲は全くなかったし、必死になって悟りを探していた。すべてを捨てているという気持ちでした。当時の道元にいいては、自然なことだと思います。

道元は師匠の如浄禅師に「身心脱落」のことを報告する。すると如浄は、ただ「脱落、脱落」と言った。

身心脱落の「身心」を捨てた。ただ「脱落、脱落」。
その意味はなんだろうか。道元禅師は日本に帰ってから死ぬまで探し続けたんです。

身心脱落というのは「執着を捨てる」ということ。
しかし、「身心脱落」では、脱落しきってない。
まだ脱落するものがある。それは「自分」。「私が身心脱落しました」という「私」。

「私は身も脱落して、心も脱落しました」と。それに対して如浄禅師は「脱落、脱落」とこたえます。その「私」が、捨てられなくてはいけない、と。
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しかし、「私」が捨てられ「私」が消えたところで、「私を捨てた」というのは難しい。
そう言うための「私」という実感。もはやそれがないのだから。

「私」がないということは、それからはもう何も言葉はなし。
無の世界、空の世界。それが仏性の世界。「山水経」の世界。
身心脱落という言葉は、そうした「脱落、脱落」というところまで進まなくてはいけない。
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そのようなことを述べましたが、大学のほうはそれが気に入らない。曹洞宗という宗派の伝統的な解釈、定説を大切にしていました。それでいつの間には、私は異端派扱いされてしまうのです。

「定説」とは、これまでみんながそのように了解してきたから、そうなっているということでしょう。
そうした態度は、けっして科学的ではない。みんなが認めているからといって事実であるわけでもない。定説などあるはずがない。
研究というのは、定説を超えて、とにかく調べてゆく。探求していくことではないか。
そう主張しましたが、うまく意思の疎通ができなかったんです。
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また、学問研究に限界を感じたのは、そこに自由がないからなんですね。
論文では、「です」とは書けない。「と思う」としか言えないんです。
そして、論文にはその通りやらなくていけないルール、決まりがあるんですね。
いい加減な研究というのはありえない。

何かを主張するならばそれなりに根拠となる文献を出す。歴史的な変化をそれを並べて証明していく。根拠となる文献を全部出す。しかし、図書館に行ってそういった本を借りるのもスリランカ人の私には、たいへんな手間でした。

それで一、二年がんばって論文を書いても、アイディアとしてほんのわずかなことしか言えないんです。そして、まだだめと言われます。
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私はそんなにごちゃごちゃ研究したくない。部屋の中で本ばかり読むのは好きでしたが、論文を書くのは面白いことではない。
仕事としてこれを、生涯やらなくちゃいけないとなると、限られた人生にとって、研究論文は、けっして意味のあることではない。

そこで、駒澤大学での研究はやめようということにしたのです。
いろいろな選択肢はありましたが、違う道を歩もうとしたのです。