過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「しっかり不安ともにいる」しかない

不安、焦り、心配というものは、沸き起こる。とくに、眠れないときとか、夜に目が覚めたときなど。

次から次へと湧いてきて、勝手に暴走する。想念に巻き込まれてゆく。不安とは、いわば妄想の連続なのかもしれない。

そうしたときの心強い味方は、やはり呼吸。
たえず呼吸に戻ることで、不安が収まる。そこを実験中。

「収めよう」として呼吸していると、これが難しい。収めるつもりが、「抑える」ことになってしまう。そうすると、これが収まらない。次々と湧いてくる。抑えるとうまくいかないのだ。

収めようと期待しない、効果を得ようとしない。
じゃあ、どうしたらいいのか。

「しっかり不安ともにいる」しかない。呼吸に気づきながら、呼吸とともに、不安と暮らす。そんなありようでいると、不安に巻き込まれないものだ。いつしか、収まる。

不安と同居して、それでオッケーというありよう。
不安を否定しないで「そうだ、不安だ。不安でいいんだ」と、不安に「有」を与えるとでも言おうか。

日々、瞬間瞬間、そのところの実験中だ。呼吸の気づきを習慣として、定着させる。それが人生の質を決める、大きな支えになると思う。