過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ここはやはり坐禅だ。呼吸だ。丹田呼吸だ。

頭の中がいっぱい、いっぱい余裕なし。パソコンでいうとRAMが満杯。そうなると、イライラするし、焦るし、不安も渦巻く、怒りも出てくる。しかし、どうしようもないんだなあ、これが。

そうだ、お経をよもう。お題目でも真言でも念仏でもいい。となえてみたが、どうもしっくりこない。お経をよむ元気も湧いてこない。

そんなとき、かつて泊まり込みの坐禅会のことが思い起こされた。35年も前のことだが。

真冬だった。朝の4時から夜の8時くらいまで坐っていた。和尚から、しこたま警策で打ち据えられた。3日目には、ものすごく元気になって、エネルギーが満ちていった体験をがある。

丹田(たんでん:ヘソの下5〜10センチくらい)に力を入れよ。吐く息に力を込めよ。下腹は火をおこす「ふいご」のようになれ。思いきりだ。吐く息になりきれ。

和尚のそういう言葉を思い出した。ここはやはり坐禅だ。呼吸だ。気づきの瞑想というよりも、丹田呼吸だ。

足は結跏趺坐。吐くときに下腹に力を入れる。これを40分ほどやってみた。ずいぶんと全身に力が満ちてきた。すこし頭の中も整理されてきた。心境も澄んできたぞ。すこしずつクリアーになっていく実感。

坐禅を離れても、こうしてパソコンを打つときでも、下腹には力を入れている。自然に下腹に力がはいれば「上虚下実」(じょうきょかじつ)で、上半身はわりとリラックスできるものだ。

白隠は言う。
わが気海丹田は、本分の家郷
この気海丹田は、唯心の浄土
この気海丹田は、己身の弥陀