過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

地面に寝転がってみて、身体が覆う面積の分だけ一日に働けばいいさ

「地面に寝転がってみて、身体が覆う面積の分だけ一日に働けばいいさ」。

そんな気持ちで、働いている。

きょうは涼しいし、すこし元気。筋トレも兼ねて肉体労働にはげんでいる。事務処理ばかりしていると、頭は、いっぱいいっぱいになってウツになりそう。たまには肉体労働しなくちゃ。

まずは、おばあちゃんから依頼された100坪の空き地の草刈り。ついでに、気田川の土手の草刈り。さらには、保育所で処分に困っていたスチール机を4つ運んできた。

これから、倉庫と物置小屋の片付けに入る。溜まったダンボールもまとめて燃やすぞ。新聞も処分だ。

とにかく、手をつければすこしでも進むのだ。

始めればいい。やらなければ、まったく進まない。すこしでも進めば気持ちがいい。達成感がある。自分にオッケーを出せる。精神衛生上とてもいい。探しものの手間からも開放される。ま、いきなりやらないで、細く長くと。

1800年前の逸話だというのだが、こんな話がある。
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ある男が、手入れ不足で完全に荒れ果てている農地を持っていた。彼は、その農地に密集して生えている、アザミとイバラの茂みを取り除いて、きれいな畑にするために息子を送り出した。

ところが、息子はその大量の雑草を目にしたとたん、こんな大仕事はとてもできないと失望し、地面に寝転がって寝てしまったのだった。何日もこんな日が続いた。

とうとう父親が、息子の仕事の進み具合を見にやって来た。
そのとき息子は父に、不満と怒りでいっぱいの自分の悩みを訴えたのだ。

それを聞いた父親は、息子をこの仕事から解放はしなかったが、良い助言を与えたのである。

「地面に寝転がってみて、身体が覆う面積の分だけ1日に働けばいいさ。そのくらいならできるだろう? これで仕事も進むし、もう弱気にもならないぞ」

息子がこの言葉どおりにやってみると、短期間で農地はきれいになって、すっかり開墾されたのだった。

「自分の身体を把握し、自分の力と調和しながら、自分個人の基準をつかむこと。そうすれば、仕事は荷が重すぎもせず、軽すぎもしないで、より楽に進んでいくだろう。

各人が適切な基準を自分で見つけ、具体的に持続的に仕事をする。これが良い解決法なのだ。今も、そして1800年前もである。
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「単純に生きる100のヒント」(キュステンマッハー 日本文芸社)より