あかりと将棋を毎日、3局は指すことになっている。
近頃は、iPadで指すことになった。
iPadだと、毎回の「対局」が保存できる。
「棋譜」(対局手順を記録したもの)が保存される。
何手で勝ったのかも。
おとうちゃんは手を抜かないので、はやいときは30手、手こずるときは100手くらいになる。あかりは厳しい。「待った」もなし。まちがえて打っても、許してくれない。
あかりは毎回、強くなってきた。
きっと来年の今頃は、おとうちゃんはあかりには勝てない。
「女流棋士になれ」と言っている。
永遠不滅の実体(仏性、法身、阿頼耶識)を立てる。パーリ仏典と矛盾する。どうしてか。
ブッダの教えは、徹底して「苦・無常・無我」である。そして、四諦・八正道。因縁生起であり、不滅の実体は認めない。パーリ語の経典を読めば、それぞれテキスト的には矛盾と逸脱はないことがわかる。
しかし、大乗仏教になると、「常楽我浄」と大転換していく。
永遠不滅の実体(仏性、法身、阿頼耶識)を立てる。明らかに、パーリ仏典と矛盾する。逸脱する。
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どうしてそうなったのか。
ひとつには、ヴェーダの教えをもととするヒンドゥー教に呑み込まれたり、互いに影響を与えあって形成されていったとみる。
ヴェーダの教えは、不滅の実体であるところのブラーフマン(いわば宇宙)とアートマン(真我)か一体、一如であると説く。〝アハン ブランマ スミ〟(汝がブラーフマンである)と。
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そして、もうひとつは、バクトリア パルティアなどイラン系の国と接していたがゆえに、ゾロアスター教などの影響で、不滅の実体を認めるようになったのかもしれない。
そこから、阿弥陀如来とか大日如来とか久遠仏とか、不滅の真理身があらわれていく。
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これを立証しようとすると、世界史の変遷がややこしい。
中央アジア、現在のアフガニスタン北部のアムダリア川上流域をバクトリア地方という。バクトリアは、紀元前3世紀半ばにギリシア人総督が独立して建てた王国。ヘレニズム諸国の一つとしてのバクトリア王国のもとでギリシ。ア文明とイラン文明の融合が進み、インドからの仏教も受け入れた。
パルティアは、紀元前3世紀の中頃から紀元後3世紀初めまでの約500年にわたり、イラン高原を支配したイラン系民族の国家。中国では大月氏国と呼んだ。月氏の教え=仏教となる。日蓮も月氏(インドの仏教という意味合い)という言葉をよく使っている。
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このあたりから、ガンダーラが出てくる。
ガンダーラは、紀元1世紀から3世紀ごろ、地中海のローマ世界とインド、中国を結ぶ東西交易の要。東西の文明が出会う文化交流の場。
仏教文化とアレクサンドロスの東進に伴い移植されたギリシア文化が融合した地域。クシャーナ朝の2世紀から3世紀を中心に、西方のギリシャ文化などの影響を受けた仏教美術(ガンダーラ美術)が栄えた。
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ガンダーラには、ヒンズー教、仏教、ジャイナ教、ゾロアスター教や、ペルシャ、ギリシャ、ローマの各宗教など、さまざまな宗教や文化の信奉者たちが共存していた。
多文化共生のエリアであった。そこから、いわば豊穣な大乗仏教が形成されていったとみている。
馬頭観音ってなんだろうか
仏教に出てくる神とか明王(みょうおう)の類(たぐい)は、ヒンドゥー教が源である。たとえば、大黒さん、弁天さん、金毘羅さん、毘沙門天などの四天王、梵天、帝釈天、韋駄天、摩利支天、不動明王、愛染明王‥‥数えあげればキリがない。
これらは、もとはヒンドゥーの神々である。ブラーフマンが梵天。インドラ心が帝釈天など。それらが仏教に取り入れられ、仏の教えを守護する働きとして表される。
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先日、馬頭観音(ばとうかんのん)を本尊とするお寺(長楽寺)の尼僧(吉田真誉さん)と話をした。
馬頭観音が本尊という寺は珍しい。密教の寺だから、もともとは大日如来とか不動明王が本尊だったかもしれない。
ところで、馬頭観音ってなんだろうか。
馬頭観音もヒンドゥー由来ではなかろうか。そんな話をした。
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調べてみたら、〝ハヤグリーヴァ〟という神であった。〝ハヤグリーヴァ〟は、「馬の首(を持つ者)」の意味。
聖仙カシュヤパとダヌの間に生まれたダーナヴァ(アスラ族の一つ)。
カルパ(劫 極めて長い宇宙論的な時間)の終わりがやってくる時、世界が海に覆わるが、宇宙を想像したブラーフマンは眠っていた。眠るブラーフマンの口から出たヴェーダ(智慧)を、ハヤグリーヴァが盗む。
そのことに気づいたヴィシュヌ神は巨大な魚の姿になって大洪水を救おうとする。そして、ブラーフマンが眠りから目覚めると、ヴィシュヌはハヤグリーヴァを殺してヴェーダを取り返した。
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ハヤグリーヴァがヴェーダ(智慧)を取り戻したという説もある。
ダイティヤ(アスラの一種)のカイタバとマドゥがヴェーダを盗んで海に隠した。ヴェーダを取り返すためにヴィシュヌはハヤグリーヴァの姿に化身して二体の悪魔をそれぞれ六つに引き裂いて殺し、ヴェーダを取り返した。
ハヤグリーヴァは苦行に打ち込んだ結果、馬の首を持つ者(ハヤグリーヴァ)以外の誰にも殺されないという身体を獲得するが、ヴィシュヌは馬の首を頭の代わりにつけてハヤグリーヴァを殺したととも言われる。
これらは、『マハーバーラタ』に書かれているという。
私は『マハーバーラタ』を、全部読んだことはないが、インド最大の叙事詩といわれるもので、いわばインド哲学の大百科事典。有名な「バガヴァットギータ」も『マハーバーラタ』のなかにある。これは、インド哲学のエッセンス。
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ともあれヒンドゥー教のヴィシュヌ派では、ハヤグリーヴァを知能・知識、探求を司る存在として重要な神格とみなしている。
そして、仏教においては、馬頭観音となっている。奈良時代以降、牛馬を守護する神として信仰されてきた。
親バカにならないと子育てできないよ
子どもは可愛い。これは身体実感。感情のリアル体験。子供が育つとともに親も育つ。子どもの誕生日はすなわち親の誕生日でもあるわけだ。
子育て中の友人が、来訪。子どもは一歳と二ヶ月。動画を見せてもらったが、とてもかわいい。他人が見ても可愛いのだから、親にしてはこれはたまらないな。
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だが、奥さんは産後ウツになり、その後、なかなかうまくいってないみたい。いま別居中。気の毒に、なかなか子供には会えないみたい。ヘタをすると離婚。そうすると、なかなか子供に会う機会がなくなる。うーん、それはつらいな。
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で、ぼくのアドバイスと言うか、つぶやき。
親バカにならないと子育てできないよ。
子育て日記をつけておくといい。自分のためにも、将来の子どものためにも参考になる。
あかりなど、おとうちゃんの書いた日誌を毎日、楽しみにしていて、Facebookをせっせと読んでチェックしている。
ツイッターでもインスタグラムでもFacebookでも投稿するのがいい。みんなに見られるのが嫌なら、自分だけ見られる設定もできる。あるいは、友達限定公開。
他人に読んでもらうと文章も引き締まる。また、コメントをもらえるので、いろいろ発見もあるし、気付きもあるし、モチベーションも湧く。ネットワークも広がる。
駅から10分。200坪の土地が総額「1万円」。さて。
破産管財人の弁護士から連絡あり。この方、はっきりと喋って丁寧。歯切れがいい。
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こちらは提示した金額は、200坪の土地、総額「1万円」。
どうしてそんなに安いのかというと、自己破産した方の土地の任意売却だから。(住宅ローンの返済が困難に、金融機関に相談のうえ家を売却。しかし債権者の同意が必要)
で、破産者の財産の換価処分権限は破産管財人に帰属する。その担当が弁護士というわけだ。
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物件の概要
①200坪。農地。宅地に転用可能。袋井駅から徒歩10分。
②急な傾斜地。坂の上が禅寺の墓。日当たり抜群。見晴らしもいい。
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今回は、次のような問題点を伝えてきた。
「債権者(消費者金融)が、「根抵当権」を外さない。「地上権」の設定も外せない」と言う。
「それでもいいか」ということであった。
ちとややこしいので「考えさせてもらいます」とこたえた。
①「根抵当権」がついたままでは不動産を売却できないため、売却の際は根抵当権の抹消手続きが必要となる。
②「地上権」は借地権のひとつ。権利の所有者(この場合、消費者金融)は、その土地の活用について所有権並みの権利が得られる。 あくまで所有権は地主にあるが、その土地を自由に使うことができ、承諾なしに譲渡することも可能なのだ。
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200坪1万円で買おうというわけだから、やはりいろいろ問題があるわけだ。整理してみる。
①農地転用して、宅地として販売するにしても、「根抵当権」と「地上権」の設定が外れていないと売れにくい。根抵当権がついたままでは不動産を売却できない。売却の際は根抵当権の抹消手続きが必要。
②急な傾斜地。宅地にするにしても、「擁壁」をつくらねばならず、数百万の費用がかかる。
③農地である(宅地に変更するのは、農地法の制限で手間がかかる)。といって、現況は山林。雑木が茂って野菜などとても栽培できない。土地の上にはお寺の墓がある。
④そのまま持っていても、草刈りは必要。道路に伸びた木が交通の妨げとなって問題が生ずる。もしも木が大きくなった時、伐採に多額の費用がかかる。
⑤山自体が古墳のようだ。そうなると、宅地造成中に遺跡が出土するとも工事はストップ。発掘調査の費用は土地の所有者(開発者)が負担させられる。
⑥地震や風水害があって土砂が崩れて公道に土砂が堆積したり民家を破壊すると土地所有者に損害賠償の責任が生ずる。
まあ、いろいろリスクある。けれど、駅から10分の土地を200坪を1万円で買うというのは「坪単価50円」だ。
ま、そこが面白いということだけのゲーム感覚なのだが。
今回の件を通して、いろいろと民法(物件)の学びにはなっている。
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まてよ、固定資産税ってどれくらいなんだろう。農地だからかなり安い(きっと数千円)と思うけれど。もしも、年間10万円もしたら目もあてられない。
ちなみに、農地の固定資産税は、固定資産税評価額(課税標準額)×1.4%。たとえば、農地の固定資産税評価額が100万円の場合、100万円×1.4%で14,000円の固定資産税。
農地によって生み出される儲けがほぼないとされる場合には、固定資産税免除の対象となる。土地だけを所有している場合、課税標準の土地合計額が30万円未満の場合は免除となる。
ブッダと若者との出会い
「ブッダと若者との出会い」
本当の真実を求める人にとって、ある思想がどこから生まれたかは問題にならない。思想の起源や発展は、学者が問題にすることである。
実際のところ、真実を理解するのに、それがブッダに由来するものなのか、誰か別人に由来するものなのかを知る必要はない。
肝心なことは、真実を目の当たりにし、理解することである。
そのように、ワールポラ・ラーフラ長老は述べている。
朝、読んだこのブッダと若者との出会いの逸話、心にしみる。
▽
ブッダはかつてある焼き物師の小屋で一晩を過ごした。そこには、ブッダより先に一人の若い隠遁修行者が到着していた。二人はお互いに面識がなかった。
ブッダは隠遁修行者を観察し、「この若者は立ち居振舞がよい、彼がどんな素性の者なのかを知りたい」と思った。そこでブッダは、こう尋ねた。
「ビクよ、あなたはどんな師を求めて家をあとにしたのか、あなたは誰に師事しているのか、あなたは誰の教えが好きなのか」
▽
若者は答えた。
「友よ、シャーキャ族のゴータマ姓で、隠遁修行者となった人がいます。彼は名声が知れ渡り、完全に目覚めた人です。私は目覚めた人に従って家をあとにしました。彼は私の師であり、私は彼の教えが好きです」
「その目覚めた人は、今どこに住まわれるのか」とブッダが尋ねた。
「友よ、北方にサーヴァッティという小さな町があります。完全に目覚めた人はそこにお住まいです」
▽
「あなたはその方に会ったことがありますか。その人を見れば、わかりますか」
「私はその師に会ったことはありません。ですから会ってもわかりません」
こうしてブッダは、その見知らぬ若者が家を棄て、隠遁修行者になったのは、自分自身の教えを求めてであったと知った。しかしブッダは自分の正体を明かさずに、こう言った。
「修行者よ、あなたに教えよう。注意して聴くがよい」
若者は、「友よ、聴きましょう」と承諾した。
そこでブッダは真理を説明する、もっとも素晴らしい教え(「第三聖諦ドゥッカの消滅」)を若者に授けた。
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教えを授けられてから、若き隠遁修行者――名前はプックサーティといったーは、相手がブッダその人であることに気が付いた。
そこで彼は立ち上がり、ブッダの御前に進みでて、師の足許に礼拝して、ブッダとは知らずに「友よ」と呼びかけたことを謝罪した。
彼はそこでブッダに入団の許しを乞うた。ブッダは彼に「(必需品である)托鉢椀と衣の用意があるか」と訊いた。若者が「用意していません」と答えると、ブッダは「それでは入団は許されない」と言った。
プックサーティは托鉢椀と衣を求めて出て行ったが、不幸にも牛に襲われて死亡した。
後になってこの悲しい知らせを聞いたとき、ブッダはプックサーティは賢明で、すでにニルヴァーナを実現する直前の段階に達しており、死後アラハントとなり、その生涯を終えたあとは、再びこの世に生を受けることはないであろうと述べた」
この話から明らかなように、プックサーティがブッダのことばに耳を傾け、その教えを理解したとき、彼は相手が誰であるかを知らなかったし、誰の教えかを知らなかった。
彼は真実を見たのである。薬が良ければ、病いは治る。薬を調合した人が誰であるか、薬がどこからもたらされたかを知る必要はないのである。『マッジマ・ニカーヤ〔中部経典](140番)』
松任谷由実の「春よこい」
電車の乗り降りは、30年前とインドもそんなに変わってないなあ
喧騒のカルカッタからプーリーに行こうとした。二等の寝台席を予約してでかけた。
ゲストハウスから人力車で駅まで行く。ものすごい雑踏で人がひしめき合っている。ヨーガ行者が土の中に頭を突っ込んで逆立ちしていた。
▽
駅について、列車を待つ。切符は手配しているのだが、はたしてちゃんと予約されているのか。ドキドキする。
列車が来た。列車のボディにプリントアウトされた自分の名前と番号が張り出される。それを見て一つ安心。出発は22時。
さて、列車のドアが開く。
そこからがたいへんだ。
わっと多くの人が押し寄せる。押し合いへし合い。
通常、列車というものは、「出る人が先、乗る人が後」が常識なんだけど、そうならない。出る人と降りる人が同時なので、入り口で押し相撲状態。
一刻も早く席を確保したい人は、混乱している人の頭の上を足で踏んで中に入る。
わたしは、やっとの思いで予約席にたどり着く。
▽
そうすると、インド人がもうその席に居座っているではないか。
「ここは私の予約席だよ」と言ってもどかない。
「こらっ、出て行け、出て行け」とやりあう。男は渋々出ていく。
やっと一息ついた、カルカッタからプーリーの漁村までの夜行列車だ。
プーリーはオリッサ州の海岸沿いにある小さく静かな 漁村。安宿も多く居心地がいい。長期旅行の貧乏旅行者が溜まる場所としても有名だ。
これみると、電車の乗り降りは、30年前とインドもそんなに変わってないなあ。
トラウマとシマヘビ
───おかあちゃんは、自分のおかあちゃんから言われたことがトラウマになっているんだって。
「え、どんなこと?
───「絵はきちんと描かなくちゃいけない。はみだしちゃいけない」。自由に踊ったりしていると、「きちんとしなくちゃいけない。そんな踊じゃみっともない」
そう言われて、絵も描けなくなったし、自由に踊れなくなった。歌も人前で歌わなくなった。それがおかあちゃんの〝トラウマ〟だってさ。
▽
それを聞いたあかり、「トラウマって?」
───心の傷ってことだね。それがずっと残っていて、その後の人生に影響を与える。
「だったら、あかりもトラウマがあるよ」
───ええ!トラウマだって。それはなに?
「ほら、こないだシマヘビに噛まれたでしょう。あれ痛くて怖かった」
▽
───そうだったね。何匹かのシマヘビをつかんでいた男の子がいた。「可愛い」と言って触ったら、ヘビに噛まれたんだね。でも、そんなのトラウマじゃなくて、すごく自慢できることだよ。
「どうして?」
───だって、シマヘビに噛まれた女の子になんて、日本に何人もいないよ。すくなくとも浜松市では、あかりくらいだよ。大いに自慢していい。
「そうか。でも、あのとき、噛まれた時、びっくりして指をすぐに引っ込めたので、バキッて音がして、シマヘビの牙が折れたよね」
───そうだったね。シマヘビさん、牙が折れてかわいそうだったね。あかりも貴重な体験をしたもんだ。
二桁計算の暗算がぱぱっとできようになったあかり
二桁計算の暗算がぱぱっとできようになったあかり。おとうちゃんなんかは、頭の中で筆算するので、暗算はできない。
「小学生がたった1日で19×19までかんぺきに暗算できる本」(小杉拓也 著 ダイヤモンド社)が書店で山積み。累計で70万部も売れているというので買ってみた。
▽
そしたら、3日でできるようになった。
しかも、いやいやじゃなくて、たのしそうにやっているではないか。
はじめは、「わからない」と涙をだしていた。
───いやなら、やらなくていいいよ。がまんしてやるものじゃないから。
「うん」
───だけどね、きっと自信がつく。ほら将棋みたいに最初は駒がどう進むかわからなくても、いまじゃ「詰将棋」ができているでしょう。だから、最初ちょっと我慢すればあとはスイスイ、ラクラクだよ。
「じゃあ、やってみる」
そしたら、すぐにハマった。
サイゼリヤで食事しているときもやっている。町営の風呂に入ったときも、風呂に入って熱くなったら休憩場所でやっている。図書館に来ても、やっている。
▽
おとうちゃんは、採点してちゃんとやっていたら、猫の絵を描いてあげる。それが楽しみなようだ。自分でもイラストを描きこんでいる。
───問題集とか教科書とか、どんどんと書き込んでいいからね。自分のイラストとか、好きに書き込むんだ。自分のものにしてしまうんだよ。
で、見事に一冊やり遂げた。
「これは、あかりの宝物だよ」
大喜びしてた。問題集の最後のページに、表彰状がついているのでそれを額に入れてあげよう。
二桁のかけ算ができるようになったら「インド式計算法」にトライしてみる。
▽
算数ができるとかできないの世界ではなくて、苦手で我慢して学ぶものではない。ちょっとだけ最初、手間かかかるけれど、やっていけばラクラクだ。とっても自信がつく。
そういう体験をさせようと思っている。あ、おとうちゃんも二桁の掛け算できるようにしなくちゃ。
「あれ?きょうは秘書は来ないんですか」
「きょう書類の締切だから、池谷さんは来ないのかなあと思っていたんですよ。そしたら、子どもの声が聞こえたので、〝ああ。池谷さんが来た〟と思いましたよ」と。きのうの行政への申請書提出のとき。
不動産屋さんにも寄る。
「あれ?きょうは秘書は来ないんですか」と言われた。
あかりはクルマの中にいて遅れてやってきて、ひとりで二桁の暗算(いまハマっている)をやっていた。答えあわせは、ひとりでiPhoneで。
▽
社会勉強だとして、いつもあかりを連れて出かける。行政への申請のプロポーザル(市民部長やら財務部長やらズラッと20人くらいに囲まれてのヒアリング)のときも連れて行く。
こないだは、国会議事堂の議員会館の石破茂のところにも(遺骨収集団の報告についていく)。入国管理局にも(ベトナムのお坊さんのビザ申請)。
▽
クルマで運転中(なにしろ往復100キロだ)、二人で中島みゆき作詞作曲の「春なのに」をいつもよく歌っている。だいたい覚えたので、「つぎの歌、教えて」という。
───「春が来た、春が来た」でも歌うか。
一緒に歌うが「こんなのつまんないから、やめよう」と言われた。
───じゃあ、おとうちゃんの大好きな「春よこい」(松任谷由実 作詞作曲)を歌おうか。それから、「さくら」(森山直太朗作詞 作曲)はどうだ。
おとうちゃんは運転中なのでiPhoneの操作ができない。あかりは、ぱぱっと検索して動画を聴かせてくれるようになった。役に立つようになってきた。
https://youtu.be/qX7pFYH9O04 春よこい
https://youtu.be/8R0Jp32VjAI 春なのに
https://www.youtube.com/watch?v=q1mKHFbzDdQ さくら
インドの宗教事情 シーク教徒
スワルナーリ女史との対話⑤ インドの宗教事情
●───インドは、たくさんの宗教があります。ヒンドゥー教、イスラム教、シーク教、キリスト教、ジャイナ教、仏教、ゾロアスター教、ユダヤ教など。
シーク教徒は警官とか軍隊とかドライバーには多いですよね。ターバンを巻いて、恐ろしげな風貌で体格がいい。心はハートフルだと思いましたが。
シークの総本山のゴールデン・テンプルに泊めてもらったことがありました。入り口の門番が槍を持っていたのには驚きでした。そして、みんな体格は堂々としていますね。見た目も恐ろしい。
しかも、博物館みたいなところでは、「われわれはいかにイスラムと戦ってきたか」を示す画像が沢山ありました。それこそ血まみれの姿をした画像でした。
「イスラム勢力はパンジャブ地方から侵入してきました。かれらはイスラムと戦ってきたんです。戦うために、肉を食べ武術を習い、体を鍛えてきたんですね」
●───暑い国なのに、あんなに髪を伸ばしてターバンを巻いたら暑くて大変と思いますが。しかし、どうしてあんなに髪を伸ばしてターバンを巻いているんですか?
「ターバンを巻くのは理由があるんですね。シークは髪を切らないで伸ばす。髪を伸ばすのはイスラムとの戦いのためでした。頭を切られても怪我をしないように。髭を伸ばしているのは、首を切られないように。
●───なるほどそうでしたか。そして、かれらはいつも小刀を携えていますね。先っぽが曲がっているやつ。
「それは、相手を殺すためですね。先っぽが曲がっているのは内蔵をえぐるんです。だから、相手は刺されたら助からない」
●───ううむ。女性はどうなんですか。
「女性も持っている場合がありますよ。それは、相手を殺すためと言うよりも、陵辱されないために、自分を殺すために持っている。わたしの母も、シークではありませんが、いざというときのために、毒薬を持っていましたよ。自分で死ぬためですね」
●───パンジャブ地方は、イスラムとの戦いの最前線だったんですね。グル・ナーナクの教えは、イスラムとヒンドゥーと融和したところがありますね。
ところで、シーク教の総本山のゴールデン・テンプルに泊まったことがあります。バジャン(讃歌)をよく歌っていました。美しい旋律でした。ぼくはじっと聞き入って瞑想してました。そして、深夜の2時ころに大きな祭があったそれにも参加しまた。
また、境内の要所要所には高いところに館があって、そこでシークの僧侶のような人が、半畳くらいの大きさの聖典『グル・グラント・サーヒブ』をめくっていました。
「あれは、日本の禅宗が大般若経転読の式典みたいなものです。日本では経典を読まずに、パラパラとめくって風通しするでしょう。あれで、読んだことにしているわけですよね。それに似ています。彼らはちゃんと、読んでいるわけじゃあないんです」
続く
アヨーディアのヒンドゥーテンプル建設
スワルナーリ女史との対談④
───モディ首相が、アヨーディアのヒンドゥーテンプル建設を進めましたね。アヨーディアは、ラーマという神の聖地。そこにテンプルがあったのに、イスラム教徒が破壊してモスクを建てた。そしてまた、ヒンドゥー教徒が破壊してテンプルを建てた。そのようなことが何度も繰り返されて、ヒンドゥーとイスライスラムの争いのシンボルのようになっていました。
「モディは、いまもっともインドで人気がある首相です。G20でも、そのリーダーシップを発揮しています。そのモディは、インドにある4万のモスクを壊すべきだと主張しています」
───モディに指導力があるのは、わかります。庶民にとても人気があります。権威的ではなく、ざっくばらんで威厳がある。しかし、とはいうもののモスクを破壊してテンプルを建てるなんて‥‥。またイスラム対ヒンドゥーの争いが激化しそうですね。
「すべてのモスクを破壊するというのではありません。もともと、ヒンドゥーのテンプルがあった聖地に、イスラムが破壊してモスクを建てたのです。その場所を取り戻すというんですね」
───なるほど、もともとはイスラムの聖地であったところ。
「そうです。ヒンドゥーにおいては、建物は二の次です。たいせつなのは、パワースポットなんです。そこがパワースポットにもかかかわらず、イスラムがヒンドゥーテンプルを壊してモスクを建ててしまったんです」
───なるほど。そうすると、たとえば、世界遺産の「タージマハール」などはどうなるんですか。
「あれは〝墓〟ですよ。シャージャハンの妻の墓。ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが亡くなった最愛の妃ムムターズ・マハルのために建造したんです。
しかも、ヒンドゥーのテンプルを破壊した上に建てられた。タージマハールといえども、破壊されるべきと思います」
───おお。なんという。
「インドだけではなくて、すべての先住民の聖地の上に建てられた教会やモスクは破壊されなくちゃいけないんです。たとえば、アステカもマヤもインカも、聖地の上にキリスト教の教会が建てられているんです」
───なるほど。〝パワースポット〟という見方、あらためてわかりました。
続く
ヒンドゥーの教えは、いつでも始まりがあり、終りがあるん
スワルナーリ女史との対話③
───「ゼロの発見」はインドですね。スンニャータ。有るとか無いとか、始まりとか終わりとかそういったものを超えている。
「アブラハム系の教え(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)は、beginningがあってendがある。ヒンドゥーの教えは、いつでも始まりがあり、終りがあるんです」
───いわば、円のようなものですかね。円というものは、どの点が始まりか終わりか、示すことはできない。つねに、それは始まりであり、終わりでもある、と。
「マハーカーラ(mahākāla महाकाल)という考えがあります。カーラとは〝時間〟です。それは何にも拘束されない。時間を司る至高の王。
有のときもあれば、無の時もある。有無を超えたものです。
マハーは偉大な、カーラは時間とともに暗黒を示す。究極的にすべてを破壊することを示します。破壊はまた、あらたな創造です。
また、死の支配者としてのシヴァ神の別名です」
───それは、大暗黒神ということで、日本に来て、大黒=大国となってオオクニヌシノミコトとなりますね。オオクニヌシノミコトも闇、死の世界を支配するととらえられることもあります。