過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ZOOMで「折伏教典を読む」として、語り合いを行う予定

折伏教典』とは、創価学会員が折伏(相手の思想を打ち破り、入信させること)の際に、拠り処とした書物。「トラの巻」である。昭和26年発刊。
他の宗派はいかに間違っているのか、自分たちの教え(当時は、日蓮正宗)がいかに正しいのかが、コンパクトに書かれている。創価学会の草創期の考え方が、とてもよくわかる。
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現在、創価学会日蓮正宗と分離して独自路線を進んでいる。
創価学会にとって最大の邪教日蓮正宗」となっているので、この本は創価学会にとって、いかにも都合が悪い。
たとえば、「富士大石寺に背く謗法のやからがもつご真筆の御本尊には、大聖人の御魂は住まわれるわけがない」などと書かれている。そうなると「富士大石寺に背く謗法のやから」=「創価学会」となってしまう。
創価学会は、「つねに自分たちは正しい、なにがあっても正しい」という宗団なので、自語相違しても問題ない。けれども、やはりいまの創価学会信徒には読ませたくないわけだ。
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その「折伏教典」を友人から借りたので、スキャンしてOCRにかけてテキストにするところ。それをもとに、ZOOMで「折伏教典を読む」として、語り合いを行う予定。

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「信仰とか宗教の呪縛をどう超えるか」をテーマに語り合い

また、本日(3月7日)ZOOM楽座を開催します。
21時〜23時。
「信仰とか宗教の呪縛をどう超えるか」をテーマに語り合います。
下記をクリックしてください。参加ご自由。途中の入退室オッケー。
https://zoom.us/j/4568526263
バチと功徳で縛られる。
神仏の怒り。先祖霊。タタリ。
そういうものに対するおそれ、不安。
あるいは、他の信仰や不信仰に対する見下し。
目に見えないもので呪縛されるありようを、どう克服するか。
宗教でいうところの真実、正しさ、邪悪などをどう超えていくか。どう捉えていくか。
親から強制されたもの。
カルト的な宗団にはまってしまったもの。
それどう乗り越えていくか。いけるのか。
そんなあたり語り合います。
とくにゲストはいません。
池谷のいろいろな宗教体験とかを素材に話を進めていきます。
入室20時半くらいから。雑談開始。

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「無常」 それこそがブッダの教えのキーポイント

仏教とは仏(ブッダ=ゴータマ・シッダールタ)の教えだ。

しかし、八万法蔵というほどの経典がある。それぞれ内容の食い違いもあり、しかも哲学的、空想的、難渋なものも多い。

このあたり、キリスト教の「共感福音書」やイスラムの『コーラン』と比較すると、いかに煩瑣で難解であるのかがわかると思う。
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で、要するに、仏教の教えとはなにか。ということになる。
たとえば、苦・無常・無我であるという。

あるいは、四諦・八正道・十二因縁であるという。
あるいは、七仏通戒偈(諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教)とか。
あるいは、大乗に至っては、常楽我浄という。

宗派によっては、南無妙法蓮華経と唱えれば成仏する。南無阿弥陀仏と称えれば阿弥陀浄土に生まれる。あるいは、発心するその瞬間に救われている。もう、さまざまにある。

いろいろな捉え方がある。そこが、仏教の面白いところ。
そして、これこそがブッダの教えであると言い切れるものでもない。
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ブッダの言わんとしたことは、
「瞬間瞬間、すべてのものは変化する。そして、自分自身も」。
ということじゃなかろうか。そう思っている。

同じ瞬間はもう二度と訪れない。つねに変化していく。
このいまの体験は二度と訪れない。最後の体験であり。そして、つねに新しい体験。
始まったら、それは終わりになる。終わったら、それは新しいものが生まれる。

すなわち、「無常」。
それこそがブッダの教えのキーポイントである。

それは、けっして暗い厭世的な教えとは思わない。
無常だからこそ、新しい創造が瞬間瞬間に起きていく。
瞬間瞬間の可能性はつねにひろがっている。
そのようにとらえてみる。

笑顔は翁そのもの 和紙づくり70年 大城忠治さん(93歳)

いろいろ仕事がありすぎて、停滞していた原稿執筆。「フツーだけどフツーじゃない山里の90代」(すばる舎 刊行予定)。すこしずつ、また手を入れている。
なにしろみなさん高齢なので、はやく本を出さないと亡くなってしまう心配がある。現におひとりは亡くなられた。さきほど電話したら、一昨日、入院したという方もある。
ということで、投稿しながら原稿作り。感想、アドバイスくださいね。
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笑顔は翁そのもの 和紙づくり70年

大城忠治さん(93歳)

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◉開墾地に入り 道を作り集落を作ってきた
大城さんの住まいは、標高350メートル余の山上にある。天竜区の平松という戦後の開墾地である。いま暮らしている住民は9世帯だ。
19歳のとき開墾に入った。もともとは山の上の原野である。道を切り拓いていくのは苛烈を極める。麓から山の上まで、住民たちが岩をどかし木の根っこを掘ってゆく。なにしろ重機のない時代である。ツルハシやクワで掘り、モッコで土を運ぶ。結婚して夫婦で暮らす家は、建築資材を麓から山の上まで運んだ。
みんなで力を合わせて集落を作って維持してきた。苦楽をともにしているので、それぞれ気心がしれた間柄だ。
しかし、なにしろ山の上だ。買い物などで2キロの山道を登り下りする。作物の出荷は思うようにいかない。現金収入を得るのも難しい。自給自足に近い生活を送らざるを得ない。
山の上は水が引けないので、田んぼはできない。30分余かけて山の下まで下りて、数反の田んぼを耕した。山里は、猪や鹿によって、稲の実が食べられたり田んぼが荒らされてしまう。柵を作って獣害対策をする必要がある。稲刈りのあとは、山の上に稲の束を運んで天日干しをする。七段の稲架掛けをした。
30代になって養豚業を始めた。はじめは3頭の豚からスタートした。それが、どんどんと子を殖やして、数年後には500頭にもなった。その子豚を出荷して生計を成り立たせた。
豚の飼育は臭いがきつい。町中ではできない。山里でも隣家が近いと苦情が出る。そこは、山の上の開墾集落ならでは可能な事業であった。
豚に毎朝、餌をやる。豚の糞のついた長靴で軽トラックに乗って、市長室などにも出かかけた。こうして養豚業は30年間続けた。だがあるとき、豚の餌をつくるために煮炊きしていた時、火が豚舎に燃え移って、全焼してしまった。そのことがあって、養豚はあきらめたのだった。
◉手間のかかる和紙づくり
大城さんの暮らしている集落は、かつては和紙づくりが盛んで「阿多古(あたご)和紙」として有名だった。
和紙は、江戸時代に庶民の間に和紙が広まり、生産量が急増する。傘や浮世絵、かわら版、ちり紙など、庶民の日用品としても利用された。日本各地で和紙が大量に生産されるようになった。ところが明治以降、洋紙の普及や他の素材への置き換えが進み、和紙の生産量は減っていった。
和紙づくりは手間がかかる。経費的にわりが合わず生計が立たない。50〜60軒あった和紙づくりの家は、いまはほとんどが廃業してしまった。ただひとり大城さんだけが、阿多古和紙を営んできたのだった。
洋紙は200年ほど経つとボロボロになってしまうが、手漉きの和紙は1000年以上ももつといわれる。
和紙の材料は、楮(こうぞ)、三叉(みつまた)、雁皮(がんぴ)だ。繊維質の強い低木樹だ。それらを栽培した。難しいのは、山には鹿などが多くて、若木が食べつくされてしまうことだ。
さて、和紙の作業工程である。すべてが手作業だ。いかに手間がかかるかわかると思う。
①楮や三叉などの原料を刈り取る。
②一定の長さに切って蒸し釜で蒸す。
③原料となる皮を剥ぐ。
④表皮をけずる
⑤皮をやわらかくするために、灰汁やソーダ灰などのアルカリを入れて煮る。
⑥不純物(塵)を手で根気よく取り除く。
⑦皮を打ち棒でたたいて、繊維をより細くほぐす。
⑧漉き舟に原料、水、ネリ(繊維が沈まず、分散させるようにする粘りのある液体)を入れ、簀桁ですくって縦横にゆらし、一枚一枚漉く。
⑨漉いた紙を圧搾機などでゆっくりと水をしぼり出す。
⑩湿紙を一枚ずつはぎとって、木の板にはって天日で乾燥させる。
⑪乾燥した紙を一枚一枚、木の板から剥ぎ取って、寸法を揃えて製品とする。
大城さんは、楮や三叉だけではなく、素材として竹の皮やマコモなどを混ぜたりして味わいのあるものを工夫している。
大城さんの漉いた阿多古和紙は、地元の小学校と中学校の卒業証書にもなった。阿多古和紙に校長先生が直筆で書いて、一人ひとりに卒業証書として手渡した。
30代から和紙の創作人形もつくった。テーマはかつての日常の暮らしぶりを表したものだ。筏を漕ぐ人たち、馬や牛を引いての材木運び、遠州大念仏の踊り、和紙づくりの作業風景など。これらの作品は、上阿多古小学校に展示してある。
また、「おくない」(おこない)という祭の面も作った。「おくない」は国の指定重要無形民俗文化財になっている神事、民俗芸能だ。
毎年、1月3日に村の寺の本堂で行われる。その年の安全、五穀豊穣、子孫繁栄などを予祝する40余もの舞や仮面劇が上演される。いわば、いまの能や狂言の原形である。
愛知・長野・静岡の各県境の山間では春祈祷(はるきとう)として、それぞれの土地の観音堂阿弥陀堂などのお堂でおこなわれてきた。田遊び・猿楽・田楽などの中世芸能の一つである。大城さんは、その仮面を和紙で作って奉納してきた。
また毎年、秋祭で上演される田舎芝居の脚本も書いていた。数年前から、芝居を演じる人たちが高齢でいなくなってしまったのは残念なことだが。
◉山道を舞うように跳んでいた
大城さんはもとより強靭な方だ。私が初めて出会ったのは80代の頃で、大城さんの跡をついて山道を歩いていくと、とっても身軽な動きに驚いた。岩から岩に跳んでいた。まるで、天狗が舞うようにだ。
「土産に柿を持っていくか」と言って、さっと屋根に飛び乗って柿をもいでくれた。
さすがに90歳を過ぎて、かつてほどは体は動けなくなった。しかし、芯が丈夫で柔軟性がある。
「こないだイノシシとぶつかってのぅ。崖からころがってしまったよ。あちこち痛いけれど、まだ生きてるよ。歳には勝てんねぇ」。そんなものすごい93歳である。
妻とともにふたり暮らしであった。妻は大城さんを影で支えており、とても仲のいい夫妻だった。いつも話し合ってものごとをすすめていた。
ところが、3年前に妻は体調を崩して施設のほうに移ることになった。やはり寂しい思いをする。いまは長男の夫妻が、同居している。
90歳になったとき、運転免許証も返上したので、外に出かけて人に会う機会が少なくなった。しかし、大城さんの人柄を慕って、和紙づくりのワザを継承したいという人達が訪ねてくるようになった。
◉100歳の和紙づくりをめざして
今年の2月に、私がくんま(浜松市天竜区熊)という山里で、大城さんの和紙の展示とお話、和紙づくりの実演を企画した。
あいにく、その日は雪が降って道に積もるというたいへんに寒い朝であった。そこは、バスも通わない山里である。また、最寄り駅からクルマで1時間はかかる。参加したい人からは、「ノーマルタイヤなので雪が心配で行けない」という電話も頂いた。
「これでは開催は難しいかなあ」と思ったが、たった数名でもイベントは開催すると決めた。
ところがこんな雪の寒い日にもかかわらず、女性や子どもを中心に和紙づくりに関心を持つ人50名近くが参加してくれた。
川の畔で寒風が吹くなか、和紙づくりが行われた。大城さんの朗らかで明るい人柄で空気がとても心和んだ。
参加者からは「100歳まで元気に和紙をつくってくださいね。100歳の大城さんの和紙なんて、どれほどすてきでしょう」という声も聞かれた。
大城さんの実演が終わってから、電話をいただいた。
「きょうはありがとう。100歳の和紙がすてきと言われた。それもいいかもしれんのう。そう思うと楽しうてならんなあ」。
年をとるほどに人は神に近づくという、まさに大城さんの笑顔は翁そのもの。
古来、翁は神の化身である。
なにがあっても紛動されない。すべて笑い飛ばしてしまえる人。
風吹かばどうぞ風よ吹いておくれ、雨降らばどうぞ降っておくれ。大城さんは、いわばTAO(無為自然)の人だなあと思う。

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おが屑ストーブ

おが屑の活用法。
外の薪風呂の隣に大型薪ストーブをセットした。おが屑をまとめて新聞紙にくるんでおく。それに火をつける。なかなかよく燃える。そしてゆっくりと燃える。なにしろ燃料はタダ。そして無限だ。


そこで、野菜を適当に切って鍋で半日かけてグツグツと煮込んだ。おいしいスープができた。ダシを入れなくても、こうして時間をかけて煮込むと野菜そのものの旨味が出るようだ。
酵素玄米と野菜スープ、これで食事は十分な気がする。


あかりは風呂の蓋の上(温かいのだ)に座ってお茶を入れてくれた。ピュービューと寒風が吹くのだが、薪の風呂とおが屑ストーブで、けっこう外で過ごすことができる。

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ざっくり仏教の教えとは

①仏教は仏の教えなので、ブッダゴータマ・シッダールタ)からはじまる。
②ゴータマがいたことは歴史的な事実。
③ゴータマが「悟っていたのかどうか」はわからず。
ブッダの教えをもとにした教団=サンガのあったことは、歴史的な事実。
⑤国王(アショカ王カニシカ王)が政治理念として仏教を広めたことは事実。


⑥ゴータマが悟っていたとしても、それが経典として正しく伝えられていたのかどうか。それはわからない。
ブッダのオリジナルの正確な教えはわかりにくい。ただ、四諦、八正道、三法印がコンテクストとして存在している経典群は多い。


ブッダが悟っていようがいまいが、歴史的に実在しようがしまいが、どうでもいいともいえる。
⑨それは仏教じゃないとか、初期仏教とは違うとか、論議しても大した意味なし。
⑩大乗は仏教じゃない、密教は別物だ、日本仏教はちがうとか、新興宗教は違うとか論議するのは楽しい。
ブッダのオリジナルの教えが確かなものとして把握できてはいないのだから、そこから逸脱するとかしないとか、いえない。


⑫それらの壮大な流れそのものが仏教としてみたとき、とてもおもしろい。探求のしがいがある。
⑫結局、自分の生き方の指針、智慧につながっていけば、それは何でもいい。なんだっていい、ということになるか。


 

「毘沙門信仰のすすめ」体験談から

2月に「毘沙門信仰のすすめ」をつくらせていただいた。信貴山大本山千手院が発刊、国書刊行会発売。
信仰のおかげ体験が主軸になっている。といっても、なにかいただいた、病気が治ったという話もあるが、99%がお礼参りという次のような方の体験もある。

名古屋にある浄水器メーカーの会長さん、ZOOMで取材させていただいたまとめた。
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「四十年に渡る毎月の参拝 張子の寅(虎)を奉納」


◉管長との出会いから毘沙門様の世界に


信貴山には、毎月参拝させてもらっています。もう四十年以上にもなります。
月初めに参拝するのは、すっかり暮らしのリズムになっており、毎月、精神的な健康診断を受けているようなものです。
信貴山という最高のロケーションで、四季を感じながら深い祈りの場がもてるのは、まことに人生の贅沢と感じます。
信貴山との出会いは、経営している会社の社員研修がきっかけでした。
いろいろなお寺さんを会場にお借りした中で、田中眞瑞管長との出会いがありました。
管長のお人柄、深い祈りという芯があって、たんたんとして柔和なところに惹かれました。毘沙門様におまかせしきっている姿が感じられました。
管長のお人柄ゆえに、信貴山とのご縁ができたわけです。
「あの管長さんが一生懸命拝んでおられる毘沙門様だから、きっとすごいんだろうな」
ということで、毘沙門様の信仰へ導いていただいたのです。管長の信仰のおすがたを通して、毘沙門様の力強い御守護の手応えと安心感をいただいております。


◉会社の守護をいただいている


会社は、五人で五坪の事務所からスタートして、はや五十年になります。
経営というのは、つねに安定しているとは限りません。大変な時期もあります。会社がつぶれかかったこともありました。
そういうときには、人智を超えた大きなものにすがりたくなります。だから守護してくださる方がおられるのは、ありがたいことです。私には毘沙門様という祈る対象が定まっているのは、まことに心強いことです。
信貴山に毎月参拝させていただいておりますが、その九十九%は、お礼と感謝のためです。
振り返ればこの四十年間、病気によって参拝できなくなったということは、一度もありませんでした。まことにありがたいことです。
また、信貴山にはリンナイ、メナード化粧品、カゴメなど、そうそうたる企業が帰依されています。そのような会社のメンバーに加えていただいていることを、誇りに感じます。
◉張り子の寅(虎)を寄進させていただいた経緯
信貴山の入り口にある、大きな張子の寅(虎)を寄進させていただきました。それには、次のような経緯がありました。
ある方が、会社が倒産しそうだった時、お助けしたことがあります。その方が、数年後にお礼にやってこられました。
「湯川さんのおかげで、一家心中を免れることができました。その御礼です」といって紙袋を持参されました。
「これはなんですか? その時に用立てしたお金はもう返してもらっています。お持ち帰りください」と言いました。
しかし、その方は頑として引きません。
そうこうしているうちに、田中管長が約束の時間で面談に来られました。
「次のお客さんが来られたので、これは持って帰ってください」と、その方には紙袋をお返ししたのです。
管長と少しお話していたとき、事務員がお茶を持って入ってきました。
その時、紙袋を持ってきたんですね。
「それは、どうしたの?」
「先程の方が、これを社長に、といわれるので預かりました」
「それはかなわんなあ……」
仕方なくその紙袋を横に置いたまま、管長と話をしていたわけです。
管長のお話の内容は「実は来年の寅年の記念の年に、世界でいちばん大きな寅(虎)を信貴山に安置したい。ついては、その勧募でやってきました」というのです。
なんと不思議なことに、その浄財勧募の目標金額と、紙袋のお金がちょうどおんなじでした。
「じゃあ、これをどうぞお願いします」
と、その紙袋をそのままお渡ししたんですね。
先程の方が無理やり置いていった紙袋の行き先を「さぁどうしよう……」と思っていたタイミングだったわけです。
それは毘沙門様が天上から見ておられて、管長さんに「あそこに行ってみなさい」という御采配であったような気がします。
ただ、信貴山としては、浄財として広く募るつもりでいたわけです。ところが、一人だけで済んでしまっても困るわけです。
翌日、そのようなことで、管長から「やはり受け取れません」とお電話がありました。
私としては、もう寄進したつもりでした。だから、その時、思わずウソをつきました。
「管長すみません。朝礼で、社員に信貴山に張子の寅を寄進すると言ってしまいました。なのでそれは、引き取れません」。
そのようなことで、張子の寅を奉納させていただくことになったわけです。
その名も「世界一福寅」。全長六メートル。電動で首が動きます。
信貴山に寅が安置されてからというもの、そこに奉納者として私の名前が書かれているので、参拝された方から、「お前はそんなに奇特なことをしているのか」と、よく言われました。
「いや、それは違うんです。奇特でも何でもない。たいした信仰心があるわけじゃあないんです。たまたまのことなんですよ」と言ってきました。


◉毘沙門様、信貴山にまもっていただいている


私に信貴山という祈りの場がなければ、この四十年間、会社が続いていたかどうか。とっくに会社は消えていたかもしれません。
毎月参拝し、一時間の祈りの場を与えていただける。そのことは、人生の節としても、社員教育のよき場としても、とても得難い貴重な体験です。
小さい時、十三歳上の兄が亡くなりました。私は小学生でしたが、母親が仏壇に向かっていつも「般若心経」をよんでいました。なので、自然とお経は心身に入っていました。
そのようなこともあり、信貴山には、出会うべくして出会ったような気がいたします。
毘沙門様にいつも守っていただいています。毘沙門様におまかせすれば安心という心でおります。そんな人生、まことにありがたいことです。


㈱OSGコーポレーション 湯川 剛

古代インド語のサンスクリットと仏典のパーリ語を少しずつ

古代インド語のサンスクリットと仏典のパーリ語を少しずつ、学ぼうとしている。
ともに、文字はなくて口承であるから、もともとの正確は発音はわからない。
たとえば、サンスクリット語の「智慧」という言葉。
ほとんどの本で智慧のことは、ジュニヤーナと記されている。
 jñānaと発音記号にあるので、そのまJが発音されとして記されることになる。
サンスクリットの仏典だと、完全なる智慧は प्रज्ञा, prajñā(プラジュニャー)、パーリ語では、पञ्ञा, paññā(パンニャー)。こちらは、Jは発音されない。
ジュニヤーナとニャーナ、プラジュナーとニャーナ。おんなじ智慧という言葉だが、どうして発音が違うのか。インドでは、ジュニヤーナをギャーナと発音されたりする。
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で、結論。ジュニヤーナ、ギャーナ、ニャーナはほんどおんなじ。ただ、インドの地域によって、すこし発音に仕方が違う。
ジュニヤーナやプラジュニャーのJは、発音されない子音といえようか。発音されないとしても、ほんのすこし発音される。Jの発音をしようとして、その口でニャーナと発音されるような感じかな。英語でいうと、knowのKが発音されないのと似ている。
区別されにくくて、それが文字化されると固定化されてしまうということがある。
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JとYは、区別されにくい。
Japanは英語ではジャパンだが、ドイツ語ではヤーパン。
邪馬台国のジャは、ジャではなくてヤ。ヤマタイコク。
カとハも区別されにくい。マカとマハー。
こういうたぐいがたくさんあって、口承で伝わってきて、後で文字化されるので、なかなかわかりにくい。
buddhaのdhaなどは、日本人には発音されにくい。アントニオ猪木の「ダー」みたいな発音だ。
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その他、発音されにくい言葉、似ていて混同されやすい言葉、いろいろありすぎる。そこが、手間だけれど面白いといえる。
ブッダの教えは、古代マガダ語で話され、口承で伝わった。文字として表されるのは、ブッダの滅後100年くらいと言われる。さて、ブッダの正確な教えはどういうものであるか、そのあたりの探求もしてみたい。
※いつもそうだけれど、投稿は、自分はどのあたりがわかっていないのか、それを明確にするために、頭を整理するために文章化している過程。

古代インド語のサンスクリットと仏典のパーリ語を少しずつ

古代インド語のサンスクリットと仏典のパーリ語を少しずつ、学ぼうとしている。ともに、文字はなくて口承であるから、もともとの正確は発音はわからない。
たとえば、サンスクリット語の「智慧」という言葉。ほとんどの本で智慧のことは、ジュニヤーナと記されている。
ज्ञानम् [jñānam]と発音記号にあるので、Jが発音されるわけだ。
しかし、インドに行くと、ジュニヤーナと発音されない。むしろギャーナとよく聞く。ギャーナ・ヨーガと。パーリ語の仏典だと、智慧はニャーナ(ज्ञानम् [jñānam])。Jは発音されない。般若心経の般若は、智慧のこと。パーリ語のパンニャーの音写だ。ニャーナとジュニヤーナは、おんなじ智慧という言葉だが、どうして発音が違うのか、調べてみた。
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で、結論。ジュニヤーナ、ギャーナ、ニャーナはほんどおんなじ。ただ、インドの地域によって、すこし発音に仕方が違う。


ジュニヤーナのJは、発音されない子音といえようか。発音されないとしても、ほんのすこし発音される。jの発音をしようとして、その口でニャーナと発音されるような感じかな。英語でいうと、knowのKが発音されないのと似ている。区別されにくくて、それが文字化されると固定化されてしまうということがある。
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JとYは、区別されにくい。
Japanは英語ではジャパンだが、ドイツ語ではヤーパン。
邪馬台国のジャは、ジャではなくてヤ。ヤマタイコク。カとハも区別されにくい。マカとマハー。
こういうたぐいがたくさんあって、口承で伝わってきて、後で文字化されるので、なかなかわかりにくい。buddhaのdhaなどは、日本人には発音されにくい。アントニオ猪木の「ダー」みたいな発音だ。
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その他、発音されにくい言葉、似ていて混同されやすい言葉、いろいろありすぎる。そこが、手間だけれど面白いといえる。ブッダの教えは、古代マガダ語で話され、口承で伝わった。文字として表されるのは、ブッダの滅後100年くらいと言われる。さて、ブッダの正確な教えはどういうものであるか、そのあたりの探求もしてみたい。※いつもそうだけれど、投稿は、自分はどのあたりがわかっていないのか、それを明確にするために、頭を整理するために文章化している過程。

酵素玄米 黒大豆を入れて炊いてみた

酵素玄米がとっても好評。あかりも、おいしいおいしいと、ぱくぱく食べる。
きょうは、小豆ではなくて黒大豆を入れて炊いてみた。最初の火が強すぎて焦げてしまった。しかし、もっちりしてとてもおいしくできた。
この酵素玄米と手作りの味噌、そして梅干し。さらには、糠味噌の漬物があれば人生、食べ物は十分な気がしてきた。
ということで今年は、なんとか田んぼと大豆づくりを復活させたい。無農薬の田んぼづくりは、とってもたいへんだけど、再チャレンジ。自分で食べるものは自分で作っていきたい。

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酵素玄米

長岡式酵素玄米法で、玄米を一升炊いた。
もっちりとして、じつにおいしい。これからは、こちらが主食となる。
あかりは、おいしいおいしいと、ぱくぱく食べている。この酵素玄米は、いつでも暖かくいただけるのがいい。小腹がすいた時おやつのようにしていただける。油ものとか天ぷら、刺し身、魚とはあんまりあわない、
糠味噌漬け、梅干し、ひじきみたいなものとあう。

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炭焼き窯の設置は林の中に

炭焼き窯は、結局のところ、林の中にした。わがやの1,300坪の敷地内。
かつてつくった炭焼き窯を修復することにした。焚口の補修と単管パイプで堅牢な屋根を作る。まわりの樹木と草を伐採する。
林に2階建ての家が見えるが、空き家にしていた池谷の家。いま友人夫妻が長期滞在して、整理してくれている。
康ちゃんに、炭焼き窯のイメージをサラサラと描いてもらった。

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明日は弁論準備手続だ

訴訟を起こしている。問題なのは、裁判に勝っても、相手にお金がないと「無い袖は振れぬ」でアウト。相手の財産を差し押さえて競売にするってなことは、じつにたいへん。
なので、予め勝訴にそなえて「仮差押」(かりさしおさえ)する。相手の預金口座や不動産をロックしてしまうのだ。しかしこれは、簡単ではない。裁判所に仮差押の申立を行い、書面を準備し、さらには裁判官との面談がある。
で、先月、裁判官と面談の結果、証拠が揃っていないので、時期尚早と軽く一蹴されたのだった。
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裁判というのは、書面の出し合いで進められていく。月に一度、書面を出して、反論を重ねていく。そして、証拠も出揃い、争点が明確になった時に、判決がくだされる。それまで、少なくとも1年以上はかかる。
裁判官は、いくつも訴訟を抱えているので(多い人は100件くらい)、なるたけ早く済ませたい。そのために、判決を下すよりも、和解してくれたほうが「一件落着」となるわけだ。それで、裁判官は「和解しろ」と迫ってくることが多い。
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こちらは安易に和解はしない。相手が証拠にだしてくる事実と事実を突き合わせて、その矛盾点を衝いていく。相手は、ひとつ嘘をつくと、次々と嘘を重ねざるを得ない。その矛盾を衝いていく。
相手の出してくる証拠には、自ずと矛盾が生じてくる。そうなると「このままでは、裁判官の心証形成に不利」と気がつくわけだ。その時点で、有利に和解に持ち込むという戦略だ。
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きょうは、準備書面(相手の答弁書に対する反論)を書いて裁判所と相手方の弁護士事務所にFAXした。
で、明日は弁論準備手続だ。裁判官と相手方の弁護士とラウンドテーブルを囲んで、今後の裁判の方向性、和解するつもりがあるのか、どこまで譲歩できるのかなど、話し合うことになるんだと思う。
いつものように、ものごとをよくわかって進めているわけではない。行動しながら、実地で体験し学んでいく。それでも、これまで裁判は負け知らずの三連勝。さてさて。

「一夜賢者の偈」

お経(ブッダの教え)はこれがひとつのエッセンスと思う。ここに尽きる。

このパーリ語の響きは、とっても落ち着く。

「一夜賢者の偈」

過去を追いもとめるな。
未来を願いもとめるな。

過去はすでに過ぎ去ったもの。
未来は未だ来ないもの。

いまここにまさにあらわれている現実。そこに、よく気がついていること。

揺らぐこともない。
執着することもない。
智慧あるものは、そのように生きる。

今日こそ努め励むべきこと。
だれが明日の死を知ろう。
死の大軍に恐れることはない。

悟った人は、昼夜怠ることなく、そのように暮らしている。
それは、まさに「日々是好日」。
静寂で心の澄みきったブッダは説かれた。

以下、パーリ語。漢語。英語の訳。

Bhaddekaratta gathā

Atītaṃ nānvāgameyya 
Nappaṭikaṅkhe anāgataṃ 
Yadatītam-pahīnanta
Appattañca anāgataṃ 
Paccuppannañca yo dhammaṃ 
Tatha tatha vipassati 
Asaṃhiraṃ asaṅkuppaṃ
Taṃ viddhā manubrūhaye
Ajjeva kiccamātappaṃ 
Ko jaññā maraṇaṃ suve 
Na hi no saṅgarantena 
Mahāsenena maccunā 
Evaṃ vihārimātāpiṃ 
Ahorattamatanditaṃ
Taṃ ve bhaddekarattoti
Santo ācikkhate munīti.

別在沉溺於过去 也別盼望於未來 
過去已逝成過去 未來始终是未來 
应当觉醒於此刻 透视所有缘生法 
恒常修习无间断 不受境转不恼乱 
今天须发奋精进 谁知明天死神至 
死神无法来妥协 世上无人能避免 
若人晝夜六时中 行道精進不放逸 
珍惜光阴无虚度 彼名为一夜贤者 

Let not a man trace back his past or wonder what the future holds:
The past is but the left-behind, the future---but the yet-unreached.

But in the present let him see with insight each and every Dhamma, Invincibly, unshakably, that can be pierced by practicing.
Today the effort must be made, tomorrow death may come—who knows? No bargain with his Deathliness can keep him and his hordes away.

But one who bides thus ardently, relentlessly, by day, by night
Him the Tranquil Sages has called the ideal lover of solitude.

2冊の本作り

昨年の秋から今年の2月にかけて2冊の本作りだった。「新蔵王権現入門」(総本山金峯山寺発行)と「毘沙門信仰のすすめ」(信貴山大平安山千手院発行)。国書刊行会から発売される。

 

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