過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「毘沙門信仰のすすめ」体験談から

2月に「毘沙門信仰のすすめ」をつくらせていただいた。信貴山大本山千手院が発刊、国書刊行会発売。
信仰のおかげ体験が主軸になっている。といっても、なにかいただいた、病気が治ったという話もあるが、99%がお礼参りという次のような方の体験もある。

名古屋にある浄水器メーカーの会長さん、ZOOMで取材させていただいたまとめた。
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「四十年に渡る毎月の参拝 張子の寅(虎)を奉納」


◉管長との出会いから毘沙門様の世界に


信貴山には、毎月参拝させてもらっています。もう四十年以上にもなります。
月初めに参拝するのは、すっかり暮らしのリズムになっており、毎月、精神的な健康診断を受けているようなものです。
信貴山という最高のロケーションで、四季を感じながら深い祈りの場がもてるのは、まことに人生の贅沢と感じます。
信貴山との出会いは、経営している会社の社員研修がきっかけでした。
いろいろなお寺さんを会場にお借りした中で、田中眞瑞管長との出会いがありました。
管長のお人柄、深い祈りという芯があって、たんたんとして柔和なところに惹かれました。毘沙門様におまかせしきっている姿が感じられました。
管長のお人柄ゆえに、信貴山とのご縁ができたわけです。
「あの管長さんが一生懸命拝んでおられる毘沙門様だから、きっとすごいんだろうな」
ということで、毘沙門様の信仰へ導いていただいたのです。管長の信仰のおすがたを通して、毘沙門様の力強い御守護の手応えと安心感をいただいております。


◉会社の守護をいただいている


会社は、五人で五坪の事務所からスタートして、はや五十年になります。
経営というのは、つねに安定しているとは限りません。大変な時期もあります。会社がつぶれかかったこともありました。
そういうときには、人智を超えた大きなものにすがりたくなります。だから守護してくださる方がおられるのは、ありがたいことです。私には毘沙門様という祈る対象が定まっているのは、まことに心強いことです。
信貴山に毎月参拝させていただいておりますが、その九十九%は、お礼と感謝のためです。
振り返ればこの四十年間、病気によって参拝できなくなったということは、一度もありませんでした。まことにありがたいことです。
また、信貴山にはリンナイ、メナード化粧品、カゴメなど、そうそうたる企業が帰依されています。そのような会社のメンバーに加えていただいていることを、誇りに感じます。
◉張り子の寅(虎)を寄進させていただいた経緯
信貴山の入り口にある、大きな張子の寅(虎)を寄進させていただきました。それには、次のような経緯がありました。
ある方が、会社が倒産しそうだった時、お助けしたことがあります。その方が、数年後にお礼にやってこられました。
「湯川さんのおかげで、一家心中を免れることができました。その御礼です」といって紙袋を持参されました。
「これはなんですか? その時に用立てしたお金はもう返してもらっています。お持ち帰りください」と言いました。
しかし、その方は頑として引きません。
そうこうしているうちに、田中管長が約束の時間で面談に来られました。
「次のお客さんが来られたので、これは持って帰ってください」と、その方には紙袋をお返ししたのです。
管長と少しお話していたとき、事務員がお茶を持って入ってきました。
その時、紙袋を持ってきたんですね。
「それは、どうしたの?」
「先程の方が、これを社長に、といわれるので預かりました」
「それはかなわんなあ……」
仕方なくその紙袋を横に置いたまま、管長と話をしていたわけです。
管長のお話の内容は「実は来年の寅年の記念の年に、世界でいちばん大きな寅(虎)を信貴山に安置したい。ついては、その勧募でやってきました」というのです。
なんと不思議なことに、その浄財勧募の目標金額と、紙袋のお金がちょうどおんなじでした。
「じゃあ、これをどうぞお願いします」
と、その紙袋をそのままお渡ししたんですね。
先程の方が無理やり置いていった紙袋の行き先を「さぁどうしよう……」と思っていたタイミングだったわけです。
それは毘沙門様が天上から見ておられて、管長さんに「あそこに行ってみなさい」という御采配であったような気がします。
ただ、信貴山としては、浄財として広く募るつもりでいたわけです。ところが、一人だけで済んでしまっても困るわけです。
翌日、そのようなことで、管長から「やはり受け取れません」とお電話がありました。
私としては、もう寄進したつもりでした。だから、その時、思わずウソをつきました。
「管長すみません。朝礼で、社員に信貴山に張子の寅を寄進すると言ってしまいました。なのでそれは、引き取れません」。
そのようなことで、張子の寅を奉納させていただくことになったわけです。
その名も「世界一福寅」。全長六メートル。電動で首が動きます。
信貴山に寅が安置されてからというもの、そこに奉納者として私の名前が書かれているので、参拝された方から、「お前はそんなに奇特なことをしているのか」と、よく言われました。
「いや、それは違うんです。奇特でも何でもない。たいした信仰心があるわけじゃあないんです。たまたまのことなんですよ」と言ってきました。


◉毘沙門様、信貴山にまもっていただいている


私に信貴山という祈りの場がなければ、この四十年間、会社が続いていたかどうか。とっくに会社は消えていたかもしれません。
毎月参拝し、一時間の祈りの場を与えていただける。そのことは、人生の節としても、社員教育のよき場としても、とても得難い貴重な体験です。
小さい時、十三歳上の兄が亡くなりました。私は小学生でしたが、母親が仏壇に向かっていつも「般若心経」をよんでいました。なので、自然とお経は心身に入っていました。
そのようなこともあり、信貴山には、出会うべくして出会ったような気がいたします。
毘沙門様にいつも守っていただいています。毘沙門様におまかせすれば安心という心でおります。そんな人生、まことにありがたいことです。


㈱OSGコーポレーション 湯川 剛