過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

競売物件の閲覧室に立ち寄った

裁判所に用事があって出かけた。
帰りがけに、競売物件の閲覧室に立ち寄った。
物件情報をパラパラと見ていた。
おや、こんなすてきな古民家が最低落札200万円、おお、こんな山の中の広大な森が、おや、神社付きの古民家とはおもしろそう……。
現況調査、聞き取り調査の内容も書いてある。写真もたくさん。
自己破産したけれども、元の所有者はそこの家を専有している、ひとり暮らしの老婦人が通っている、などなど。いろいろなドラマがあるなぁ。暇だったら、じかに訪ねてみたいのだが。
田舎暮らしをしたい人は、こうした競売物件をねらうのも一つの方法。超えるべき課題はたくさんあるが、格安ではある。

「ジジイの片づけ」沢野ひとし著 より

この本を読んで、よし早起きして掃除やるぞ。片付けやるぞ。箒と雑巾がけだ。という気になっている。

じつは、数日前からやっているんだけど、とてもいい。箒と雑巾がけで部屋の空気感が違ってくる。気分もすっきりする。

掃除はまさに日々の修行に。修行=楽しんで身につく、というような。
功徳は、精神が爽快になること、気分が良くなること、仕事が捗ること、対人関係もニコニコになること。

問題は持続するかどうかだけど。
ともあれ、以下、気に入ったところをピックアップした。
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「ジジイの片づけ」沢野ひとし著 集英社より

心が晴れない時ほど部屋、家の片づけをするのが一番だ。掃除をし、体を動かし、片づけ方を発見すれば、思考も変わり、新鮮な気持ちになる。

使わなくなった物を整理処分すると部屋も広く、心も明るくなってくる。

ジジイは早朝から片づけに専念したい。なぜなら長年生きてきて、朝の時間は大切だとつくづく悟ったからだ。一日のはじまりに、まずどう動くか。その行動いかんで一日は、また将来は決定づけられると言っても大げさではない。そこでまず片づけをして体を動かし、一日の助走をつける。

朝の10分間片づけを習慣にすると、部屋の中にはジワジワと良い気が流れてくるようにゆったりとしてくる。

たった1分間だけでも、片づければ何も置いていない空間が生まれる。

たまに二時間も掃除をすれば、心も華やぎ家中がスッキリするものだ。そして朝の限定「10分間片づけ」を日課にすれば、家も頭の中も清々しくなる。

毎日たった10分と思っても侮るなかれ。起き抜けに、心もすっきり片づく感覚は爽快満点。

道具も片手でパッと持てるものを使おう。小さなホウキや雑巾、化学繊維の埃取りなどを使ってサッと掃除する。

ホウキ、チリトリ、ハタキ、そして絞った雑巾は日本の掃除文化の要である。

ホウキで掃くと、ジジイのすさんだ気持ちもいつの間にか清らかに澄み渡ってくる。魔法のようだ。

窓を開けて新たな気を入れると、今まで淀んでいた空気をまるごと総取り替えすることにより、心も体もすっきりしてくる。

「二十年、少なくともあと十年は元気に生きるのだ」と空に向かって両手を合わせ祈ろう。

「眠れない、疲れが取れない」と口癖のようにつぶやいているジジイがいたが、いろいろ環境を聞いてみると、原因は家の中に気がとどこおっていることにあった。窓を全開にしたら、あら不思議、すっといつの間にか不安が消えてしまったという。

不安を感じたら、窓ガラスを磨くことだ。窓拭きは、自分の心の汚れも落としてくれる。
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年に10回くらい離発着する

施設(みんなの家)の隣は、スポーツ広場。そこにドクターヘリが下りた。ここへは、年に10回くらい離発着する。桜が美しいだけに、搬送される方、そして家族の思いは……。ちなみに、うちの利用者さんはありませんけど。

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二人の柔道の金メダリスト

二人の柔道の金メダリストを取材したことがある。

その一人、古賀稔彦さんが亡くなった。53歳。「柔道着を着て死んでいくんだ」という言葉を思い出す。

雑誌の取材で道場をお訪ねした。16年前のことだ。
第一印象は、分厚い胸板、太い腕、さわやかな笑顔。

「小学一年生から柔道を始めた。以来、ずーっと柔道一直線
生涯にわたって、死ぬまで柔の道を歩み続けていきたい。
死ぬまで柔道着を着ていたい。棺桶に入るときも、きっと柔道着のままだろう。
自分の家に柔道場があったら、死ぬまで柔道が続けられる。──そんな思いから、『古賀塾』という町道場をつくった。なにより、いまの子どもたちに、自分が教えられてきたものを、伝えたい」。

道場の中二階で一時間ほどの取材。取材中、小さな子どもたちが、ニコニコの笑顔で階段を上がってきたのが可愛かった。

もうひとりの柔道の金メダリストは、斉藤仁(ロサンゼルス、ソウル 重量級で金メダル)さん。この方も54歳と若くして亡くなった。剛毅なイメージではなく、とても柔和な方であった。

この制限と自由というところのせめぎあい、緩急なところが


「おとうちゃん、将棋おしえて。もっとほんとうの将棋をやりたい」。
将棋崩しやはさみ将棋じゃ面白くないようだ。おとうちゃんもやっていて、そんなに楽しくないし。

──でもね、あかりちゃん。将棋って、とっても難しいんだよ。途中で難しくていやになって泣き出すかもしれないよね。
「あかりちゃん。絶対にやるんだもん」
そう言い張る。

そういうなら仕方ない。教えるかなあ。
こんな難しいゲームを5歳に教えるなんて、至難なことだけど。
まずは、駒の並べ方からいくか。

──じゃあ、将棋盤持ってきて。違う違う。それは碁盤だよ。将棋盤はこれ。
まずね、これが王様。一番偉いんだよ。これは一番真ん中に置く。はい。ぱちん。
次に金。これは王様の右と左に置く。次に銀。これをまた左と右に置く。それから桂馬、香車。飛車と角。最後に歩をズラっと並べる。

という風に教えていった。駒の持ち方も。

──駒を打つ時は親指と人差し指と中指でこうもって、ぱちんと置く。ぱちん。

あかりは、うまく駒を指で持てない。やっているうちに、並べては崩す。並べては崩す。最後は、怒り出した。駒を投げ捨てて泣き出した。拾ってと言っても拾わない。「お父ちゃんが拾ってよ」という 。

でも捨てたのはあかりちゃんでしょ。あかりちゃんが拾わなければゲームはできないよというところで、膠着してしまった。

やがてしばらく泣き出してから、将棋を放り出して、ホワイトボードに向かって絵と文字を書き出した。描き出していると、自分で物語を紡いだりして盛り上がってきていた。自由な空間に自由に描くというほうが楽しいだろう。

ルールとか型のある世界と、全く自由な空間に描くような世界。その辺のバランスだなあ。

おとうちゃんも、自由にゆうゆうと暮らしたいけど、家庭と仕事という枠と制限があって、あくせく、汲汲として生きている。まったくの自由がいいんだろうけど、そうもいかない。この制限と自由というところのせめぎあい、緩急なところが、人生の醍醐味というか、なんというか。

ホワイトボードからマインドマップづくり

畳一枚ほどのホワイトボードを置いた。
妻と今後の方針をあれこれ論議するとき、持ち出してきた。論議が混乱しないためだ。来客があって、語り合うときにもホワイトボードは便利だ。話が生産的になる。

文字や図形として可視化されると、頭が整理される。関連して次の発想が浮かぶ。足りないところも見えてくる。

書いたところで、デジカメで撮影する。
あとで、画像を元にマインドマップに整理する。パソコンで動かせるMindmasterという無料のアプリが使いやすい。
マインドマップをいじくっているうちに、いろいろな企画が整理されていくことになる。

書いていていま思い出した。30年以上も前に、浅草で仏教を教えてくれた先生がいた。つねにホワイトボードで説明してくれた。

初期仏教、大乗仏教密教なんでもこいであった。金曜日は、『法華経』。土曜日は、空海の主著「秘密曼荼羅十住心論」。それから「即身成仏義」「大乗起信論」など。

どんな質問をしても、即座に絵に描いてくれた。ぼくのほうは、基礎知識と理解力が乏しく、どんどんと頭からこぼれていったが。

きょうは助成金の企画書づくり

激しい雨と嵐。あかりもいないので、事務処理に集中できる。きょうは助成金の企画書づくり。

「高校生と作る天竜の魅力AtoZ」(三菱みらい育成財団)
「山繭の伝承と魅力発信」(ポーラ伝統文化財団)
「異文化での暮らし方・付き合い方」(多文化共生国際交流推進事業)
「子どもの居場所づくり」(ドコモ・モバイルコミュニケーションファンド)
「山里で炭焼窯、竹炭・竹酢液づくり」(元気な農林水産業活動事業)

やってみたいこと、できることを企画して申請。申請書をまとめていく段階で、具体的なことがみえてくる。ほんとうにやりたいことかどうか。漠然とイメージしていることを言語化、可視化していく過程。思考ゲームでもある。まさか、すべて採択されることはないと思うが、ダメモトということで。締切は今月末。

ところで、こんな大雨でもドラム缶風呂を沸かしている。炉が大きいので湿った木でもゆっくりだがちゃんと燃えている。

そうだ!馬頭琴(モリンホール)

ドとソ(5度の相対音階)の開放弦を弾くだけで、だいたいほとんどの曲の伴奏ができる。昭和歌謡も演歌も、フォークも、童謡も。

かつては、インドの楽器(タンプーラ、シュルティボックス、スワルマンダール)で、インドの祈りの歌を歌っていた。

それから、カリンバ(アフリカの楽器:指ピアノ)を爪で弾いて、ちゃんと歌えることに気づいた。じゃあ、ギターはどうだ。いける。2弦のギターで伴奏するようになった。やがて、三味線はどうか。三味線もいける。そうして、いまは沖縄の三線を愛用している。

きょう友人のチェロを弾いてみたら、これもいい。しかし、楽器が大きすぎる、値段が高すぎる。メルカリで調べていたら、「そうだ!馬頭琴(モリンホール)」とひらめいた。馬頭琴はモンゴルの楽器。値段もずいぶんと安かった。

これをヴァイオリンのように弓で引かずに、指で弾く。ドとソだけの開放弦にセット。馬頭琴は2弦。移調のためのカポタストがつかえれば、それもおもしろい。

自主保育、自主幼稚園、フリースクールというものが視野に

うちの施設では、昨年から介護施設内を区分けして保育事業を行っている。山里には保育所がないので、「保育ママ制度」を活用した事業である。

保育ママ制度」は、おなじ山里の区の住民でないと利用できない。保育ママ一人に対して幼児は三人しかみられない、などいろいろ制限がある。

いま検討しているのは、企業内保育所(院内保育所)。就業中に子どもを預けられる託児施設。それが可能になれば、子育て中のお母さんを雇うことができる。

企業内保育所には、①「認可保育所」②「認可外保育所」③「企業主導型保育所」の3つがある。

認可保育所は、行政の認可のハードルが高い。施設の広さ、保育士の数、調理・防災・衛生管理や設備など。

そこで「認可外保育所」「企業主導型保育所」の路線を検討している。こちらは行政の管轄外だが、内閣府に申請する。メリットとしては、保育施設の整備費及び運営費について助成金が出る。

この方向に、自主保育、自主幼稚園、フリースクールというものが視野にある。

いま保育事業のリサーチ開始。なにしろ縦割り行政なので、あちこちに窓口があってわかりにくい。どんな部署があって、何を聞いていいのかわからない。ということで、現時点でのメモ。

 

 

創作あやとりだ

「将棋崩しやろうよー」
なんどかやっていたが、あんまりおもしろくない。
「将棋でもっとほかのあそびないのー?」
──あるけど。あかりには、難しいからなあ。
そうだ、はさみ将棋やろうか。
ルールを教えながら始めたが、あんまりおもしろくない。
そのうちあかりは、「あやとりをやりたい」と言う。
おとうちゃんは、あやとりは苦手。折り紙もそうだ。
本を見ながら教えていたけど、よくわからない。わからない人が教えるわけで、ますますわからない。つかれてきた。
──えーい、もうやめだ。創作あやとりだ。
全く適当な糸巻ゲームとなってしまった。
まあ、それはそれで、おもしろくなってきた。
どうも、自分はきめられたことをきめられたとおりにやるのは、ものすごく苦手。
自分なりに適当に工夫してやることでないと、つづかない。エネルギーがわかない。
でも、結局のところ、やはり「型」「基本」をきちんとやってからでないと、創作は難しい。急がば回れ、ということか。

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拝んだ人はなんからかの結果、体験が現れる。それをシェア(わかちあう)する場を作る

「坊さんの仕事は、自らが拝むこと。そして、信徒に対して拝むことを教えること」と言う。

しかし自ら拝むお坊さんは、なかなかいない。所作や儀礼的にはお経を読み法要は行う。けれどもほんとうに信仰心があり、神仏に拝み祈っているかというと、さてどうだろうか。
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友人の僧侶は、インターネットを通して、多くの相談事を受けている。心理学もきちんと習得し、いわば仏教カウンセラーでもある。

多くの人の相談を受けながら、次の3つがポイントになるという。

①故人の供養をしたい。それは亡き両親であり、わが子であったり。

②けれども、どういう供養をしたらいいのか。なにをしたら供養になるのかわからない。

③ほんらい供養は自分が行うこと。それはわかる。しかし、自分だけでは足りないと感じる。その自信がない。
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かれは相談者とやりとりをして、その人に応じた供養の仕方を教えている。一緒に拝むことを伝えている。

そのことで、拝んだ人はなんからかの結果、体験が現れる。それをシェア(わかちあう)する場を作る。すると、そのシェアを通して、信徒は新たな気づきと励みと癒しになる。

竹炭、竹酢液、素焼、縄文式土器もできそうだ

石の地蔵を彫りにきてくれている左近さん。きょうもテラスでひたすら石を刻んでいた。
彼の本業は炭焼師である。見事な窯をつくっている。
「火をつければ、まちがいなく見事な炭ができる」という秘伝の窯。
これまで、何度も炭焼のビジネスのことは教えてもらっていた。だが、話だけで終わっていた。
それが、左近さんのほうから、石仏を彫りに来る。「炭焼き窯もつくろう」と言ってくれる。左近さんの元気にうちに、窯作り、炭焼の仕方を学んでおきたい。タイミングよく一緒につくりたいという体力のある助っ人も現れた。
こちらなら、設置する敷地は十分にある。隣家も離れているので、煙や臭いなど、迷惑はかからないとは思う。
孟宗竹の炭、竹酢液、コナラやクヌギ、みかんの木の炭。さらには、素焼きの器、縄文式土器もできそうだ。
炭を焼いたとしても、売れるのかどうかわからない。販路づくりもかんたんではない。「池谷は、飽きっぽいのだから、続かないと思う。やめたほうがよい」と友人は言う。

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ミツマタの群生

一昨日、わがやの近くで発見したミツマタの群生。なかなか大木だ。美しい、香りも優雅。そして、和紙の材料となる。地主の方には、いつでも使ってくださいと言われた。ありがたい。

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祝詞とお経をおもいきりとなえ、護摩を行い、滝行のできる道場に

わがやのすぐそばにある神社(教会)。神仏混淆教派神道祝詞もあげれば護摩も焚く。真言もとなえる。お経もよむ。
宮司も信徒も高齢化して、催事はおこなわれなくなってきた。建物も老朽化している。
そばを沢の水が流れて滝行のできる場がある。いまはつかわれてない。夏にはマムシが出そうでこわいが。
すこしずつ整備して、修行のできる道場に再生できたら面白いのに。祝詞とお経をおもいきりとなえ、護摩を行い、滝行のできる道場に。

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