【天皇制雑感】2026.6.14
「天皇」とは何だろう。
日本人の意識を統合する働き、国の歴史や文化をまとめる拠り所、あるいは依り代としての存在なのだろうか。
万葉集の時代、奈良時代、平安時代には、天皇の存在感が大きかったように思う。天智天皇や聖武天皇などの名も広く知られている。
だが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代、そして江戸時代と続く長い年月を振り返ると、天皇が政治や社会の中心だったという印象は薄い。江戸時代であれば、実際の中心は幕府の将軍であった。
当時の庶民は、天皇の存在をほとんど意識していなかったのではないだろうか。天皇は、空気のような存在だったろう。
幕末になり、尊王攘夷思想が広がる中で、人々はあらためて天皇という存在を強く意識するようになったのだろう。
天皇が国民生活の空気を大きく支配するようになるのは、明治維新以降である。
日本は天照大御神の国であり、天皇はその子孫である。ゆえに天皇は現人神であり、大和民族の中核をなす神聖な存在であるとされた。
それは、西洋列強の圧力に対抗し、日本という国家を一つにまとめるために急速に作り上げられた装置でもあった。
それまでの幕府将軍に代わる精神的支柱として、天皇が必要とされたのである。
いわば「天皇教」とでも呼びたくなるような性格があった。 天皇を中心とする国家理念が、人々の精神世界に深く浸透していった。国定教科書や教育勅語を通じて、人々の精神は国家へと組み込まれていった。
その思想は、日清戦争、日露戦争、日中戦争、そして大東亜戦争へとつながっていった。
だが、大東亜戦争で日本は敗れた。天皇は象徴となり、「自分は神ではない」と宣言した。
戦後、天皇は国家の精神的支柱というよりも、皇室というブランドとして国民に親しまれる存在へと変化していった。
皇室外交には一定の意味があるようにも思えるが、絶対に必要かと言われればそうでもない。あってもなくてもよいようにも感じる。
また、「神武天皇以来、万世一系」と言われるが、それは神話に基づくものであり、歴史的事実として証明されたものではない。
私にとって天皇制は、あってもなくてもよいものだ。
費用対効果を考えるとどうなのだろう。正直よくわからない。天皇制を維持する費用を削減したとして、それがそのまま国民生活に還元されるとも思えない。
むしろ、どこかの利権団体に吸収されるだけかもしれない。そうであるならば、今の天皇制のままでもよいのではないかとも思う。
現在の天皇陛下は、人柄も品格も含めて、よく務めを果たしておられるように感じる。
やがて愛子天皇が実現するのであれば、それもよいと思う。一方で、秋篠宮が即位された場合にはどう感じるだろうか。正直なところ、私自身の気持ちは離れる。
いずれにせよ、天皇という存在を中心にして、日本は明治維新以降、およそ100年にわたり国民を一つにまとめ、多くの人々が命を投げ出してきたといえる。
戦後もまた、天皇は幸福や希望の象徴として機能してきた面がある。
そしてGHQもまた、その存在を利用した。戦後の混乱の中で日本社会を安定させるため、日本統治の装置として活用したといえる。
これからも、さまざまな勢力が自らの目的のために天皇を利用しようとするのだろう。