過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【大本とその影響を受けた新興宗教】20253.10.19

【大本とその影響を受けた新興宗教】20253.10.19

大本は、出口なお(1837-1918)と出口王仁三郎(1871-1948)によって創設・発展した日本の新宗教であり、神秘主義、霊的実践、神がかり(お筆先)、世界平和の理念を特徴とする。

出口なおの教えは、

「三千世界 一度に開く梅の花 艮(うしとら)の金神の世になりたぞよ」

大本の信仰全体を貫く“霊的予告”。「三千世界」とは、全宇宙の総体を指し「天地万有の再生」がここで語られている。

「一度に開く梅の花」とは、長い冬の沈黙を経て、春を告げる最初の花。
雪を割って咲くその姿に、人の心の中で神が目覚める瞬間が象徴されている。
「外の世界の終末」ではなく、「内なる世界の開花」——
すなわち“いちりん(ひとり)の心の覚醒”こそが世界の再生を導くという根源思想。

その娘婿の出口王仁三郎は、なおの神がかりの教えをさらに発展させていった。

その影響は多くの新興宗教に及び、20世紀前半の日本の宗教界に大きな足跡を残した。

日本の近代史・宗教史におけるその重要性を考察し整理してみた。

「大本」を単なる異端宗教や弾圧の被害者としてではなく、日本近代の精神史の中で“創造的な震源地”として捉えてみた。

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〈弾圧の背景〉

大本が徹底的な弾圧を受けた背景には、「経綸思想」(神による世の建て直し)が国家体制と衝突したことと、出口王仁三郎の並外れたカリスマ性がある。

大本の教義は、既存の社会秩序を否定し、神の理想社会を地上に実現しようとするもので、当時の政府が推進した国家神道天皇中心の国体思想と相容れなかった。

第一次大本事件(1921年
大本が天皇や皇室を冒涜したとして「不敬罪」に問われた。出口王仁三郎の指導の下、教団が急速に拡大し、社会的影響力を持ったことが当局の警戒を招いた。

第二次大本事件(1935年)
軍部との対立や国家転覆の意図を疑われ、「治安維持法違反」が適用された。この弾圧は苛烈を極め、教団施設はダイナマイトで破壊され、信者の墓まで暴かれた。

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王仁三郎のカリスマと教団の拡大〉

出口王仁三郎は、教祖・出口なおの「お筆先」(自動書記による神託)を解釈し、教団を組織化した。その指導力と実行力は多くの信者を惹きつけ、教団を急速に拡大させた。

大本は単なる宗教団体を超え、新聞社を買収して世論に影響を与えようとし、軍国主義に批判的な声を上げた。これが政府の情報統制を脅かす存在と見なされ、弾圧の要因となった。

さらに、庶民層だけでなく、軍人や政財界にも信者を擁し、特に軍人信者の存在が国家権力に警戒感を与えた。

教団の政治的動向は国家転覆の可能性を疑われ、徹底的な弾圧につながった。

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〈弾圧の規模と苛烈さ〉

大本への弾圧は、日本宗教史でも異例の規模だった。第二次大本事件では、出口王仁三郎を含む約1000名が検挙され、特高警察による拷問が行われた。

検挙された987人のうち61人が起訴され、16人が獄死する悲劇も生じた。教団の聖地(綾部・亀岡)はダイナマイトで破壊され、破壊費用まで大本側に請求された。

出口なおの墓まで暴かれるなど、尋常でない苛烈さだった。

この背景には、戦争へ向かう当時の日本の狂気的な時代状況と、言論統制の強化があった。

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戦後の展開と影響敗戦後、大本の経綸思想は戦後の混迷した社会に響き、多くの新宗教が大本の影響を受けて成立した。

虚無感や不安の中で新たな救いを求める人々に、大本の思想やカリスマ性が新宗教ブームの源流となり、日本の宗教史に大きな影響を与えた。

大本がいかに日本近代宗教の母胎となったかがわかね。戦前の思想弾圧と神秘主義の高まりという時代精神が交錯し、その中で出口王仁三郎という存在が“社会的な爆心地”のような役割を果たしていた。

〈大本から派生した主な新宗教

以下は、大本から直接的または間接的に影響を受けた新興宗教である。

世界救世教創始者: 岡田茂吉(1885-1955)

岡田は1920年代に大本に入信し、幹部として活動。出口王仁三郎の「大本神諭」に傾倒し、「浄霊」(手かざしによる霊的浄化)を提唱。1935年に世界救世教を設立。

分派: 神慈秀明会(岡田の長女・陽子が設立)、MOA(文化活動に特化)。

注: 崇教真光(旧:真光文明教団)は手かざしを特徴とするが、関口栄(1900-1962)が独自の啓示に基づき設立した別系統の教団であり、大本の直接的影響はない。

注: 池谷は「世界救世教」の熱海の本部での集いに参加したことがある。また、神慈秀明会については、渋谷の駅頭で「あなたの幸せを祈らせてください」というので、祈ってもらったことがある。そして、桜新町の本部まで出かけて、集いに参加した。

生長の家」  創始者: 谷口雅春(1893-1985)

谷口は1920年代に大本に入信し、機関誌『神霊界』の編集に携わった。「人間は神の子、病も貧乏もない」と説き、精神的な力で現実を変えると主張。1929年に大本を離れ、1930年に生長の家を設立。『生命の實相』(全40巻)はベストセラーとなり、自己啓発やスピリチュアル思想に影響を与えた。

注: 池谷は10巻ほどは読んだ。また集いにも参加したことがある。本部も訪ねた。

心霊科学研究会」  創始者: 浅野和三郎(1874-1937、元海軍機関少佐)

1918年頃に大本に入信し、出口王仁三郎の教義の解釈や機関誌『神霊界』の編集に貢献。『霊界物語』の口述筆記には関与していたかどうかはわからない。第一次大本事件後に教団の方向性に疑問を抱き、1921年頃に離脱。1923年に心霊科学研究会を設立し、大本の霊的体験を科学的・合理的に探求。日本におけるスピリチュアリズムの草分けとして知られる。

注: 池谷は三回ほど通って「霊査」してもらったことがある。

白光真宏会創始者: 五井昌久(1916-1980)

五井は直接大本に所属せず、生長の家の信者だったが、大本の間接的影響を受けた。「世界平和の祈り」を中心教義とし、霊的浄化を重視。

注: 池谷は千葉の本部で「世界平和の祈り」に参加した経験があるが、長時間の祈りに辟易した記憶。

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〈その他の教団〉  

天照皇大神宮教(北村サヨ創始):神がかりのスタイルが出口なおの「お筆先」に影響を受けたが、直接的関係はない。

霊友会(久保角太郎・小谷喜美創始):大本の霊的実践や先祖供養の影響を受け、1925年設立。注: 池谷は麻布台にある霊友会の本部を訪ねたことがある。会員たちが、訓読で『法華経』を読み上げる速さに驚いた。
立正佼成会(長沼妙佼・庭野日敬創始):霊友会から分派し、大本の間接的影響。

注: 池谷は、佼成会の機関紙の取材記者として20回ほどの仕事をした。また、佼成出版社から出版を10冊以上つくらせてもらった。いまも一冊抱えている。

PL教団御木徳近創始):大本の神秘主義や調和思想に間接的に影響。