過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【人は何を権威としてきたか】2026.6.13

【人は何を権威としてきたか】2026.6.13

皇位継承論について。

今論議されているのは、法律論や制度論になりがちだ。そこで、その背後にある無意識の世界観を掘り起こそうとしてみた。

伝統的に、「男は種、女は畑」とする考え方がベースにある。これは西洋でも同様で変わらない。特に東洋のほうが強いかもしれない。

大事なのは「種」であって、種を継いでいくことだ。育てるのは畑であって、器である。女性は血統を受け継ぐ主体というよりも、血統を育む場として理解される傾向があった。

それが今の男系・男子による天皇制のベースにあるのではないか。

遺伝学的には、子供は父親と母親からそれぞれ遺伝を受けていく。男だけの遺伝を受けているわけではない。

しかしこれまでの伝統では、男による血統、血脈の遺伝的な考えが軸にある。そして、文化・思想的な考えがベースにある。

よく「貴種流離譚」というのがあって、尊い血筋を受けた男が、貧しい境涯に置かれ、各地を放浪する。そして仲間を得て、出世していくという物語が喜ばれた。

三国志の劉備玄徳にしても、漢の高祖の末裔であるというところが一つのベースである。

一般庶民の側に立った鎌倉仏教ですら、後世には貴種伝説が付与された。

道元も親鸞も貴族出身であり、いわば天皇の血を引く者たちである。

そういった文脈から全く外れた反権力的な日蓮ですら、後鳥羽上皇落胤説が一部で語り継がれている。また、一休さんも天皇の末裔である。

そして親鸞を元とする浄土真宗は天皇との婚姻関係から、やんごとなき

貴種を継承する存在として、門主(もんす)がまるで神聖な対象のようになってきた。

このように日本においては「血統」が大切にされてきた。今回の皇位継承論議も、「男は種、女は畑」という考えがベースにあるのだろうと思う。

男系天皇論の背景には、単なる制度論ではなく、日本人が長く抱いてきた「血統への信仰」があるのではないか。

なぜ日本人はそこまで血統に意味を見いだしてきたのか。天皇論というよりも、「日本人の権威観」の考察である。そこを探求していきたい。