【③マザー・テレサ訪問記】2025.11.26
初日はサルベーション・アーミーのゲストハウスに泊まることにした。私の記憶では1泊30ルピーくらいだったと思う。当時のレートで150円くらいだろうか。いやもっと安かったかもしれない。
とても汚いドミトリー(相部屋)だった。世界中のバックパッカーが泊まっていて、以前泊まったときは隣がイラン人の医者だった。マザー・テレサの施設でボランティアする人たちもよく利用していた。
しかし、食品会社の社長であるHさんには、初日のインド体験があまりに強烈だったようだ。宿の環境にもかなりの違和感を覚えたらしい。
翌朝、寝不足のような顔で「池谷さん、お願いですから、もう少しマシなホテルにしましょう」と言うので、1泊2000円くらいのゲストハウスを探し、そこに移ることにした。
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これは30年も前の話だ。当時の日本は世界有数の経済大国である。日本人と見られるや、私たちは物売りや乞食たちにわっと取り囲まれた。
サダルストリート(バックパッカー街)をあるいていると、赤ちゃんを抱いた女性がやっくる。
「この子に飲ませるミルクがありません。どうか恵んでください」
頭にターバンを巻いて髭を蓄えたのいかめしい男が「タクシーでどこかへ行かないか。案内するぞ」と言う。アンバサダーという古いインド製の車であった。ターバンのスタイルは、シーク教徒だ。
「ドルを交換しないか」と近づいてくる者がいる。別の男は「ソニーのウォークマンを持ってないか」と言う。また執拗に「ハシシ(=チャラス)はいらないか。マナリ地方の最高級品があるぞ」と売りつけようとしてくる。
そういうややこしい人たちを相手にしていると、あっという間に半日が過ぎてしまう。
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旅の目的はマザー・テレサに会うことだった。
まずは「死を待つ人の家」と隣接する教会を訪ねた。その教会でシスターに訪ねた。
「マザーにお会いしたいのですが、どうしたらいいですか」。シスターがは、「マザーに会うには、ミッション・オブ・チャリティ(Missionaries of Charity)に行きなさい。そこでは毎日ミサが行われていて、マザーがいらっしゃいます」と教えてくれた。
時間は14時からだという。その時間に行けば、マザーにお会いできそうだ。それは願ってもないチャンス。
翌日、ミッション・オブ・チャリティのミサに参加するすることにした。
(次号へ続く)