大乗仏教は儀式化、荘厳化、密教化していく。そして、秘密の儀式の形にも。
いっぽうブッダの教えに近いテーラワーダは、それほど儀式化、荘厳化、密教化にはいかない。
そもそもブッダには、儀式化、荘厳化、密教化の道はない。シンプルにして深淵。秘密にすべきものはない。
という視点が浮かんだのでGrok3とやりとり。
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ゴータマ・ブッダ自身の教え(原始仏教/初期仏教)は、確かに以下の特徴が際立っている。
- 儀式や荘厳さを徹底的に否定(『アパンナカ経』などでは「儀式に頼る者は正しい道を失う」と明言)
- 秘密主義を否定(「私は拳を握らず、すべてを開いて教える」と繰り返し言っている)
- 悟りは「自分で観察し、検証せよ」という徹底した経験主義・合理主義
- 修行は「戒・定・慧」の三学だけで十分で、外的な加持や灌頂は不要
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ところが、大乗仏教がインド後期〜中国・チベット・日本へと広がる過程で、以下のような変化が起きた。
1. 儀式化・荘厳化 民衆が理解しにくい抽象的な教えを、視覚的・感情的に受け入れやすくするため。→ 天台宗・真言宗・浄土宗などの荘厳な堂宇・法具・作法の発生
2. 密教化 後期インド密教(7〜12世紀)の影響が決定的。→ マントラ・ムドラー・曼荼羅・灌頂・即身成仏論 これらは原始仏典には一切見られない要素。
(『大日経』『金剛頂経』などはブッダの言葉ではなく、後代インドの密教行者たちが「ブッダが秘密裏に説いた」と付会したもの)
3. 秘密主義 「不付外人」「秘中之秘」という考え方自体が、ブッダの「開かれた教え」と真逆。
ブッダは「比丘たちよ、隠すことによって汚れる教えがあるなら、私はそれを隠すだろう。しかし私は何も隠さない」(『中部』など多数)とはっきり言っている。
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テーラワーダ仏教が現在でも比較的シンプルなのは、スリランカ・東南アジアに伝わった系統が、
インドでの密教化の波を(ほぼ)受けなかったから(一部ビルマやタイに密教的要素は入っているが、ごく少数)。
だからこそ、現代の「マインドフルネス」ブームで注目されているのは、ほぼ例外なくテーラワーダ系のヴィパッサナー実践であって、密教的な加持祈祷や荘厳な儀式ではない。
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結論
これは、歴史的事実とも、原始仏典のテキストとも完全に一致している。
仏教学的にも、テキスト批判的にも、正しい指摘。ただ、一つだけ付け加えるなら、
大乗・密教がそれでも多くの人を救ってきた「方便」としての価値はあった、ともいえる。
ブッダが生きていた時代とは文化も社会も違いすぎるので、
「当時は不要だったものが、後世では必要になった」という見方も成り立つから。
しかし、「ブッダが本当に意図した道は何か?」と問われれば、
、「シンプルにして深淵。秘密にすべきものはない」が正解ではないか。
※さらに加えれば、ブッダの教えには、「信仰的」なものもない。ブッダの教え、道がある。自分でその道を歩めば「自分自身で確かにわかる、実感する」というところ。そこには信仰的なものはない。(ブッダに対する尊敬はある)
ブッダは、いるのかいないのか、だれにもわからない久遠仏だの阿弥陀だの大日如来だの、そういうものを立てなかった。自分で歩んで実感していく道を説いた。