過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

スマナサーラものがたり(61)瞑想について⑤

スマナサーラものがたり(61)瞑想について⑤

この瞑想は、観察の世界です。自己を観察するのです。
〝ヴィパッサナー〟といいます。
ヴィ=よく、ちゃんと、しっかり パッサナー=観る、気づく

その瞬間で起ることだけに集中する。
今の瞬間に集中することで、智慧があらわれてきます。
そこに私も他も何もなくなってしまいます。
  ▽
『大念処経』には、「これをしっかりやれば二週間で悟れる」と書かれています。
道場では二週間くらいの合宿瞑想をすると、すごく落ち着いてきます。
もう人が自我を破って、大きな人間になってしまいます。

どんどん自分ということが消えて小さくなっていく。
そういう修行がすすめば、でしゃばりもなくなる。
まあ謙虚で、みんなの面倒を見ながら、〝どうだ、どんなもんだ〟とはならない。
まあ、いわばこっそり、ひっそり生きているだけになるんですね。
  ▽
でも、普通の生活を普通にできます。
誰もすごい人だとは気づかないんです。

でも周りは、なんとなくこの人といると落ち着いてくる。なにか問題があったらこの人に聞けばいいんだとかいう安心感が湧いてくるんです。

問題が起こったとき、これはこうしたほうがいいんじゃないかとかさらりという。みんなが納得する。なるほど良かったって言う感じなんです。

ダンマパダにこうあります。
「花の香りは風に逆らっては進んで行かない。栴檀もタガラの花もジャスミンもみなそうである。しかし徳のある人々の香りは、風に逆らっても進んで行く。徳のある人はすべての方向に薫る」

スマナサーラ長老のインタビューをもとに池谷が構成していま