過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

スマナサーラものがたり⑫ 瞑想は捨てること

スマナサーラものがたり⑫

まじめに研究する人は、「自分は偉いんだ」という態度は取りません。「私の説はこうです。こういうことを根拠にしています。どうぞディスカッションしてください。どうぞ自由に批判してください」とオープンです。

自分のテーマに合わせて、根拠となるデータもとに言及するだけです。
そこを飛び越えて、「自分が言ってることだけが正しい。批判するものは間違っているんだ」という態度であれば、相当に頭の悪い人か、我の強い人なんです。
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私は信仰がないから、かなりフリーな目で見られるんですね。批判する時は、何の躊躇もなく批判します。
そこで、私は金田さんに質問したんです。

「自分が世界一偉いと思うことが、どうして世界一偉いといえるんですか。自分のことを世界一だと言ったら、どうして世界一なんですか。それを説明してください」と聞いたのです。

そうしたら、金田さんの説明は支離滅裂になってしまったんです。答えに窮していったのです。
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金田さんはその時、参加者に向かって「せっかくスリランカのお坊さんが来られているんだから、だれか質問してみなさい」と言いました。

するとある女性の参加者から「瞑想するにあたって、大切なことは何ですか?」との質問がありました。それに対してこんな答えをしました。

「瞑想すると〝ある境地〟に達します。心地よいとか、体が軽くて楽になったとか、充実感を得たとか。そして、別の機会にまた瞑想しようという時、〝あのときの境地をまた得たい〟と必ず思ってしまうんです。そう思ったら、瞑想はもうだめなんです。

瞑想とは捨てることなんです。捨てて捨てていくんです。いつも新しい気持ちで始めるんです」。
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そのとき、鈴木一生さんが塾長をしていました。金田さんの一番のお弟子さんでしたね。

この出会いがきっかけで、テーラワーダ仏教に関心を持ち、金田さんのところを離れて、やがて私をサポートすることになりました。そして、テーラワーダ協会を立ち上げることになるんですね。