過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

最後は無になるんです。最後は、もう戦う必要がない境地です。

あかりは毎週、キックボクシングの練習に行くのを楽しみにしている。低学年の生徒は12名。先生は、水窪の山奥から2時間かけてきてくださる。
すこし正座して瞑想。心構えを唱和して、道具とみんなに礼をして始める。ルールもきちんとしていて、メリハリのついた学びがある。暴言やなぐったりすると、レッドガード。退場。
習得するために、ワザの一つひとつをクリアーするとハンコを押してくれる。「足軽」からスタート、そして「さむらい」そして「武将」と進んでいく。それそれ、レベルが上がると、先生手作りの見事や鎧兜(ダンボール製)がもらえる。
おとうちゃんは、その練習風景を眺めながら、2時間余のヨーガをひとりでやっている。からだの調整にとてもいい時間がもてる。
  ▽
はじめるときに、生徒から先生に質問があった。
──先生、武将の次はなんですか。
なんてこたえるのかなあ。軍師とか殿様かなあと思っていたら、こう答えていた。
「それは、無です。最後は無になるんです」
なるほど、そう来たか。
「最後は、もう戦う必要がない境地です」
  ▽
これを聞いて中島敦の「名人」という名著を思い出した。こういう物語である。
男が、天下第一の弓の名人になろうと志を立てた。師に出会い、修練に修練を重ねる。やがて百発百中。瞬く中に、百本の矢を一本のごとく貫く。虱の心の臓も貫く。
やがて「不射之射」といって、矢を使わないで射ることができるようになる。矢を使わないで飛ぶ鳥も射落とす。
「弓を執らざる弓の名人」となる。寝ていても、体から妖魔を払はらうべく徹宵守護する霊も現れる。もはや弓も矢もいらない。
そして、さらに極めてゆく。
ある日、名人は、客として呼ばれた。そこには見慣れぬ武器があった。
「確かに見憶えのある道具だが、どうしてもその名前が思出せぬ。その用途も思い当らない。それは何と呼ぶ品物で、また何に用いるのか」と。
もはや弓も矢も忘れてしまう境地になった。
中島敦は33歳没。「山月記」はほとんどの高校の国語の教科書にあると思う。漢文学の深い素養が感じられる。びしっとしまった文章で、読んでいて気持ちがいい。

 

映像

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