過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「備えなければ憂いなし」というのが、のぞましい

「備えあれば憂いなし」なんだけれど、ちゃんとした備えそのもののために、がんじがらめになったりする。「備えなければ憂いなし」というのが、のぞましい。

だって状況は常に刻々と変わるんだもの。こうしてああして次はこうしてと予定を汲んでも、一つ変わればすべて変わらざるを得ない。
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一つ変化したら、それは当然、次から次へと変化する。
その瞬間からから、次々と新しいプロジェクトが始まる。
どう組み立てていくのかという課題。
かならず予定通り、思い通りには行かない。
それは瞬間瞬間、起きる。

まあそんなことで瞬間のひらめき、起こってきた現実とダンスする。
かえって思い通りにいかないほうが、うまくいったりするわけで。
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来週から本作りのために上京でいる。山奥からでていくので、いろいろ段取りがたくさん。

①昨日、免許証が失効していたのに気がついて、クルマの移動は諦めて新幹線でゆく。
②来週から台風が直撃しそうなので、新幹線が止まるかも。
③取材に合わせて、長老に会いたい、私に会いたいという方との集いも流動的。
④留守に付き、ワンコの世話の段取りも替わる。

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で、大切なのは、コミュニケーション。やりとり。
やりとりすることで、現実は変わる。動く。変化する。

それは相手を支配しようとか、自分の思うようにとではなくて、ひとつの提案、情報としてただ伝える。

すると、現実が変化していく。そしてまた、コミュニケーションする、まあそんな感じでいる。