過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

瞬間瞬間、ものごとは変わる スマナサーラ長老の本作り

たったひとつの真実があるとすれば、それは「瞬間瞬間、ものごとは変わる」ということになるだろうか。

いまスマナサーラ長老の本作り(道元の「現成公案」を語る)をしている途中だが、すこし抜粋。

○世界は毎日毎日変わる

───いまの日本は先行き不安ばかりです。自信を失い、ものすごく閉塞的になっています。暗い人がどんどん増えていきます。ダメになっていく感じをみんな持っているんですね。どうしたらいいのでしょうか?どんどん坂道を転がるような感じがあります。

わたしは、小さいころ親たちからよく言われましたよ。「お前たちは怠け者だ。日本人を見習いなさい。日本人というのはいつも働いているんだよ。手洗いにいっても編み物で何か縫っているほどだ。そうやって、アジアで第一の国になったんだ」と。
その勤勉な日本人はどこで止まってしまったんですかね。いつから化石になってしまったんですかね。

しかし、これを解決することは、簡単なことなんです。

こう思うことです。
世界は毎日毎日変わる。変わる。世界は、毎日毎日違う。世界は、瞬間瞬間、変わる。

変わっていく現実に対して、わたしはどうすればいいかと悩んでも仕方がないんです。
変わっていることに気づけない人々は、死ぬしかないでしょうね。
大きな地震が起きて津波がくるとしたら、もう一目散に逃げるしかない。
津波が来るのに、先生から「待ちなさい」と言われて、従順に校庭でじっと待っていたらどうなりますか。逃げなかったら死ぬしかないでしょう。あとで「地震のせいだ、津波のせいだ、先生のせいだ」と文句を言っても意味がないんです。

水に浮かんだボートは波が来れば揺れますね。それに乗っていれば、ボートに合わせて体も揺れるでしょう。揺れるのにまかせるしかないんです。一緒に揺れなかったら水の中に落ちるか、ボートが転覆するかでしょうね。
まあ、私のような年齢になってきたら、あんまり先がない。だから揺れなくてもいいともいえますが。それはそれで、どんどんフリーになっているので結構なことなんです。

とにかく瞬間瞬間、世界は変わる。状況は変わるんです。
そのことが本当にわかるかどうかです。

───なにしろみんな先行き不安でいっぱいです。昼も不安で夜も不安。いつも不安。

不安なのは、そもそも安定を求めているからです。
「安定はない」ときめることです。
安定した会社、安定した商売、安定した家族。そんなものはないんです。時計がいつもちゃんと動いていたとしても、ずっとそのまま安定して動くわけはないのです。

すべては瞬間瞬間、変わるのです。

○すべてが思うようにはならない

───現実は、結婚して子どもが生まれて子育てと、なかなか思うようにはならない世界ですね。

若い人は希望にあふれて結婚するでしょう。結婚したら安定すると思っています。
決してそうはなりません。すべてが思うようにはならないんです。
結婚したら、毎日相手の機嫌をとらなくちゃいけなくなるんですよ。子育てなど、たいへんです。奥さんもつきあう前と違って、怖くなりますよ。

日本の社会では、奥さんに「ありがとう」と一言もいわないでしょう。褒めないでしょう。「うちの家内だから。女房だから」と。奥さんは奴隷じゃないんですよ。人間でしょう。同じ人間だったら平等です。互いに思いやりと礼節がなければいけません。女性のほうは男性よりもいくらか我慢していますけどね。10年目になって、何かちょっとした失敗で亀裂がはいる、時計が壊れることだってあります。

毎日不安。この世界は、無常です。安定などないのです。
安定などないと思っていないと、幸せにはなりませんよ。
これから世界がどう変わるのか、まったくわかりません。
会社がいつまでも順調だと思ったら、大間違いなんです。

ウクライナではまだ戦争をやっています。いつ終わるのかわかりません。ガソリン価格は上がる、電気やガス代も上がる。物価高騰、エネルギー不足、食流不足も起きるでしょう。
ウクライナは、大穀倉地帯で世界に小麦を売っていたんですからね。そこが戦争になれば、小麦が不足するのは目に見えています。
戦争というのは、もともとは他人の土地を奪うためにやってきたことでしょう。伝統的な戦争は領土を奪うためでした。ほんらいなら、ゼレンスキーとプーチンの二人が、「もう、この戦争やめよう。国民が苦しんでいるし、お互いにダメージが大きい」と話し合ったら、もうこの戦争は終わる話なんですけどね。

───いまの戦争は、経済のため。「これは儲かるチャンスだ」として戦争を煽って儲けようとする人たちがいるようですね。戦争をしかけているのは、戦争をしている当の国ではなくて、他の国の金融資本家だったりします。彼らが、攻撃したい国の隣の国をそそのかしたりして、戦争させることがあります。この戦争と経済の仕組みがあり続ける以上、いつもどこかで戦争が起きていくことになります。日本だっていつか巻き込まれるようになるように感じます。

私たちはいつも「安定したい、安定したい」という心でいるんですね。

「備えあれば憂いなし」ということわざがありますが、いくらどんなに事前に準備しても、その時になって事態はどうなるのかわからないのです。すべては安定できない。だから、変わることに対応するしかないんです。

○人生は卓球のようだと思う

人生は、卓球みたいなものだと思ったらどうですか。
卓球は機敏な動きが必要です。球はどこから飛んでくるかわかりません。打ち返しても、思わぬ方向から球が飛んでくるんです。相手の動きがわからない、先が読めないんです。
いまの日本の社会は、卓球の試合をしているのに一か所に突っ立って、「こういう角度で球がきたら、こういうふうに打ち返すぞ」と考えて、じっとラケットを構えているようなものです。

───そんなことでは、球を打ち返せるわけがないですね。

そうでしょう。まったく試合になりません。ただ、世界の動きは卓球ほど速くはないんです。だいたい読めるぐらいの速さで変化しています。そろそろ物価が上がるんだとか。食料はもうなくなるとか、だいたい読めるんです。
だから準備する時間はあるんです。にもかかわらず、準備できないで固まってしまっている。それでいて、「安定」がほしいといいます。現実に変化があるのに、変化はないと錯覚していたいんでしょうか。

神にお祈りする。五穀豊穣でありますように。無病息災、商売繁盛、家内安全とか加持祈祷してもらう。そんなことをしても、現実が変わるわけがないんです。
地球が自転することに逆らうことはできません。自分自身がそれに合わせるしかありません。自分を調整するんです。
人生は、予想できないことばかりが起こる。そう思ったらいいんです。そして、いずれこの肉体は滅びるんです。世界だって、いつか終わりがきます。そのように見据えることです。