過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

島根や鳥取で仕事をしていた時代

営業の途中、鳥取県日野郡日野町の山の中に入った。山桜のきれいな公園があった。散策していると、落差70メートルほどの滝があった。黒滝という。ごうごう、どどうという音。しばし水が落ちるさまに見とれていた。が、もう夕方で薄暗くなってきた。

「さあ、そろそろ帰るか」
帰る際に、はじめて、その滝の由緒の書かれた看板を見た。

「幽霊滝」「黒滝」とあった。
小泉八雲の怪談の舞台であった。こんな話だ。
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明治の頃、鳥取県の黒坂に小さな麻取り場があった。ある冬の夜、女たちが囲炉裏を囲んで怪談話に興じていた。話に興が乗るに連れて肝試しをしようということになり、幽霊滝の伝説黒坂の村から離れた山の中にある幽霊滝に行って賽銭箱を持ってくることになった。ところが誰も尻込みして名乗り出ようとしない。

そこで賽銭箱を持ってきた者に、今日取れた麻をみんな上げようということになった。するとお勝という気の強い女が肝試しに名乗り出た。

お勝は赤児を半纏にくるんでおぶり、幽霊滝へと向かった。冬の晴れて凍えるような夜空の下、山道を歩いて幽霊滝までやってくると、真っ暗な中にかすかに賽銭箱が見える。

お勝が賽銭箱に手を伸ばすと「おい、お勝さん!」と咎めるような声が滝つぼの中から響いた。お勝は恐怖に立ちすくみながらも賽銭箱を取ると、またしても「おい、お勝さん!」と、もっと強くとがめるような声が響いた。

お勝は後も見ずに走り去り、暗い道を駆けに駆けて麻取り場まで戻ると、賽銭箱を女たちに得意げに見せた。お勝の勇気をたたえる声がわき上がった。

みんなは「ところで、赤ちゃんは?」と言う。
「え?」お勝がふりかえると、赤ちゃんの首がない。
あわてて半纏を解くと、血にまみれた赤児の体が転がり出た。赤児の首はもぎ取られていたのだった。
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これを読んでいて、ぞぞっとしてきた。しかも、もうあたりは暗くなりかけている。
思わず鳥肌が立って、駆け足で車に戻った。
あのときの、恐怖感はまだよく覚えている。

まあそんなこともあったが、いまおもうとすばらしいところであった。
米子には伯耆大山があって、ブナの森が素晴らしかった。島根町の海はエメラルドグリーン。波は静かだった。まったくの別天地。

深い歴史のあるのが島根や鳥取であった。出雲大社あり、松江の城下町あり、石見銀山あり、白兎海岸(因幡の白うさぎ伝説)、斐伊川ヤマタノオロチ伝説)、出雲大社オオクニヌシの伝説)、たたら製鉄(砂鉄から鉄を製造)、安来節(どじょうすくい)など。

しかも、いたるところに温泉あり、日本海はきれいだし魚が美味しい、人柄もみなさん純朴。しかし、若いときにはそのことの貴重さがまったくわからなかった。
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20代の頃は、地方で営業していた。
浜松の楽器製造会社に勤めたが、扱う商品は、ピアノのみならず、住宅設備機器や家具など幅広い。わたしは、大阪でピアノの販売の研修をして、住宅設備機器の部署に回され、ルート営業してた。やがて広島営業所に転勤。担当区域は、鳥取の米子から島根、山口の益田まで。私の仕事力は、まったく使い物にならなかったと思う。

そもそも音楽関係の仕事したくて入社したのに、ボイラーとか風呂とかを扱う部署で、住宅設備機器にはまったく興味がなかった。その上、若かったので東京で仕事したかった。島根や鳥取はすごい田舎でつまらないと思っていたんだ。
そして、まったく使い物にならない私を、会社も得意先も、よく寛大に見てくれていたと思う。ごめんなさい。