過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「みんなが行くので行く」と大学に行っても仕方がないと思うけれど

母「もうすぐ受験だね」
娘「でも、まだ受験票が送られてこないの」
母「どうしたんだろう。ちゃんと振り込んだの?」
娘「振り込んだよ」
母「おかしいね。どこに振り込んだの?」
娘「お母さんの口座」
母「ええーー!」
ということで、受験できなかったという話。
 
お母さんが、ちゃんとやってくれるものと思い込んでいたのだろうか。
……なかなかありえない話なんだけど、昨夜聞いたほんとうの話。


まあ、その大学に縁がなかったということだけれどもね。笑えるような、笑えない話。
おくったはず。みたはず。みているはず。
「……のはず」ということは、おうおうにして勘違いってこともある。
あとで「ええーー!」ということになる。
なにごとも、くどいほどに重々の確認がたいせつだね。


そもそも大学に行く意味が、「みんなが行くので行く」ってことはある。ぼく自身、そうだったし。だから、勉強しなかったし、授業に興味がなかった。


その娘さんが、ほんとうに大学に行きたいのであれば、やはり特徴のある大学に行くのがいい。生活費を自分で稼ぐことができたら、もっといい。


そこで提案。たとえば、山奥のK大学みたいなところもいいかも。
そこは主に、お坊さんが行く大学なので、少人数だ。ちかくに宿坊がたくさんある。そこに住み込んでバイトができる。
ぼくの友人は、入学金も授業料も生活費も、そのようにして自分で稼いで卒業した。たいしたものだ。
彼から授業内容を聞くと、なかなかレベルが高い。碩学による仏教学やパーリ語の講義など、5人で受講していたという。


有名だからとか、偏差値が高いからとか、社会に出てつぶしがきくとか、そんな意識で大学に行っても、時間とお金がもったいない。ぼく自身の反省。