過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

高校生と話したこと

山里はほとんど年寄りばかり。立ち話しても、盛り上がる話題はない。病気の話、誰それが死んだ、もう春野は未来がないよ、10年後にはみんないない、ということばかり。

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ところが、先日は、高校生と話をする機会があった。あかりを連れて養護学校に行った時のことだ。たまたま、そこに居合わせた高校生に話しかけた。四方山話をしたのであった。

「これからの人生、どうするか」という話を聞いてみた。若い人の未来に向けての話を聞かせてもらう機会はなかなかない。山里には若い人はほとんどいないし、出会う機会がない。出会ってもそうした話をするというのも、難しいからだ。

「これから、どうやって食っていこうとするか。どこで暮らすか。どこで仕事をして、どういうワザを身につけたいのか。ワザを磨くには、楽しくなければ続かない。なにか楽しいことを見つけたか」など。

「ゲームの創作をしたい」と言っていた。プログラミングは体力的に長時間の集中力がいるので大変と思うが、若いから耐えられる、と。

「でも、これからは語学が必要になるよ。どんな国でもいい。いちど海外を旅しておくといい。海外からみた日本のありようが分かる。これからの問題意識が違ってくるよ。インドなど月に数万円あれば、らくらく旅できるよ」と伝えた。

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「沖縄に修学旅行に行く」という。それで、沖縄の悲劇のことについて語りあう。かつては、沖縄は琉球王国という独立国であった。江戸時代、薩摩藩に支配されて日本に組み込まれた。太平洋戦争で、アメリカの本土上陸の舞台になって、多くの民間人が殺された。

民間人の戦争被害ということでは、この沖縄、そして本土空襲、原爆の投下がある。そして、満州の悲劇がある。満州では、関東軍は、民間人を守らず、まったく無防備の人たちが、ソ連の攻撃のもとにさらされた。女性は暴行され、殺戮され、集団自決に追い込まれた。逃避行のために、やむなく赤ちゃんを中国人に預けてきた人も多い。それが中国残留孤児となる。

戦争を起こしてはならない。戦争の源泉になるのはなにか。「自分の国こそが正しくて、自分たちの民族は選ばれた民である。他の国は自分たちよりも劣っている、低劣で野蛮だ」というレッテル貼りにある。相手は、自分と同じ人間とは思わない。それだから平気で殺戮ができるということ。その辺も含めて日本の歴史を学ばなくちゃいけないよね、と。

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若い人はこれから、自分の意思とビジョンで道を切り開いていける。持って生まれた特性とか徳もある。しかし、限りない未来がある。うらやましい限りだ。

ぼくなど、安易に受験勉強をし、大学に行き、大企業に入り、安易にサラリーマンになった。それで安泰の人生みたいな価値観で生きてきた。「それがつまらない人生だ」と気がついたのは、30後半だった。そこから、転身を図って動乱の人生になった。そしていまもその最中である。

これからどういう未来をつくるのか、高校生の立場になってみて、考えてみた。彼は、いわば自分の分身のようでもあり、自分の過去の姿でもあり、また未来の姿なのかもしれない。まあ、そういう対話の時を過ごしたのは、新鮮な機会であった。