過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

滅びゆく自分を受け入れること

「秋の日はつるべ落とし」。井戸から水をくむときには、滑車で桶を上げる。そして、手を離すと桶はすとーんと落下していく。

体調はあんまり良くない。やがて体は滅びていく。体力、気力、知力。滅びゆく自分を受け入れること。

そういう自分自身を愛すること。それが、たいせつな智慧か。ま、いろいろと苦労すると、共感力は、かえって増していくのかもしれないが。

滅びてゆくは、破壊ともいえるが、また新しい創造といえなくもない。朽ちていくことで、あたらしいものが生まれてくると。
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とにかく今日という人生は、今日のみである。今日一日やるべきことを明確にする。そこに集中する。やりきっていく。

その一つひとつの小さな達成こそが、幸せの中身である。そのためにも、逃げずに直面すること。

やりきるところに、ひとつ幸せがあると考える。それらは自分が自分に与えた課題というのか、試験問題のようなもの。この日々は、この人生は、魂の学びのプロセスととらえる。
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まあ、実のところ、達成もなにも、どうでもいいという世界もある。なにがあっても、どうなろうと、生きていて楽しい。生きていて、ありがたく感じられること。生かして頂いてありがたく感じられること。……そこに至れば怖いものはないのだが。日暮れて道遠し。