過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

仕事を離れたら、仏教の世界に足を踏み入れたら面白い

定年退職して、亡くなるまで何十年もある。年金もあるし、さんざん仕事してきたから、もうしないという人も多い。ぼくにはほど遠い世界で、まことにうらやましくもある。

でも、仕事ない・現役でないと、やはりつまらないと思う。ヒマをもてあます。頭の回転軸も錆びてきて鋭利さがなくなる。なにより感性が鈍くなりやすい。海外旅行しても、旅行者というありようでは、やはりつまらない。もったいない。……などと余計なおせっかい発言であるが。

仕事を離れたら、ひとつ仏教世界に足を踏み入れたら面白いと思う。学べば学ぶほどに、際限なく深い。広い。

なにより仏教は日本の心の基底部の一つになっている。日本に仏教がきてから1500年くらい。仏教そのものは、2,500年も前。仏教の源泉のヒンドゥーの教えまで遡れば、3,000年以上も前だ。

このように歴史の深みがすごい。民俗学的な歴史も興味深い。仏像や伽藍などの美的な世界もある。なにより生き方の教えが基軸にあるのが、宝だと思う。

心理学であり哲学であり論理学でもある。そして、頭だけではない。心身の実践法がすごい。祈りがある、瞑想法がある、信仰がある。

そうして、死者の鎮魂、供養の世界がある。みずからの死を見つめ、死と対峙しながら、この日々を生きていくということにもなる。

ということで、仏教はおもしろい。そして、関心をもつひとは増えていくように思う。けれども、それに対してお寺・お坊さんは、どうだろうか。

わかりやすく仏教を伝えるというところが、実のところ弱いように思う。檀家だけを、死者の供養を相手にしているお寺も多い。それでは、広大な敷地が、伽藍が、教えが、実践法がもったいない。

そこで、寺と市民を結ぼうという企画をはじめたのが、3年前。「神社・寺カフェ」ということで、市内の神社と寺のネットワーク作りを始めた。また、来年の3月にも開催する。