過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

磐田市の歴史のふるさ 国分寺を訪ねて

役役所との打ち合わせのために、磐田市にでかけた。近ごろは旅をする余裕もない。こうした時に、ぶらりと散策してみるくらいだ。
役所の隣が、遠江国分寺跡だった。いやぁ、これが広々としていて気持ちがいい。なにしろ巨樹がたくさんある。となりの府八幡宮も、なかなかのものだった。高校生たちが周囲をジョギングしていた。
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国分寺が作られたのは、聖武天皇の発令による。ざっと1300年前のことだ。聖武天皇は、東大寺を中核として全国に、60数か所の国分寺を建てて、律令体制による政治を行おうとした。
その中核となるのが、東大寺の大仏だ。その大仏がいわば「ホストコンピュータ」で、全国の国分寺はその端末となる。
国分寺では、僧侶によって国家の祈願を行わせた。「金光明経」「法華経」がよまれた。お経は、いわば「効き目のある呪文」のような意味あいであったろう。
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当時の仏教は、中国からやってきた最先端の文化、学問、宗教、儀礼、教えの基盤ともいうべきもの。いまのような、先祖供養や死者のための儀礼ではない。
国家の平和を祈るのが坊さんの仕事であった。その役に立つのが仏教であり、神秘的で荘厳な存在であったろう。意味のわからないお経の響き、巨大な伽藍と仏像、異様できらびやかな僧侶のありよう、なんだか深遠で難解な哲学。
それ担う僧侶は、国家公務員であり、きびしい資格審査で選ばれる。民衆に布教したり、葬儀などに関わってはならないとされた(僧尼令)。
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磐田は、浜松よりも規模は小さいが、遥かに歴史が古い。律令時代に建てられた国分寺跡、東海道宿場町である見付宿たくさんの寺。旧見付小学校、赤松家の煉瓦の建物など、味わい深い。
歴史を感じさせるというのは、魅力である。さらには、天竜川がながれ、小高い山は広葉樹の森、ひろびろとした田園風景も広がる。山と海と川、ふるい歴史、交通の便利さなど、魅力発信できる町と感じた。
そんな磐田の山奥に、いまインドネシアの人たちによるハラール食品加工の流れを作ろうとしているのだが、なかなか困難な壁にあたっている。

 

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