過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

秋田でお寺や神社を訪ねて

宗教系の雑誌の取材だったので、禅僧で医師になった病院長をインタビューに秋田の大館を訪ねたのだった。話の内容も、祈りと瞑想、臨死から死の世界、そのケアの話から、霊界にいったりきたりするひとの過程とかのはなしになった。

その日は泊まりで時間がある。でも、これといった名所もない、クルマもない。しかも吹雪いてる。じゃあ、近所のお寺や神社でも訪ねてみるか、ということになった。

雪の積もった道は滑りやすい。おそるおそる歩いて、まず訪ねたのは、ちかくの立正佼成会の教会。事務所には女性ばかり20〜30人。みなさん、たのしそう。写真とらせてねーというと、信徒の方がいつも読まれている『法華経』のタイトル「方便品第二」(ほうべんぽんだいにーー)といって、ニコーっと笑ってくれた。

翌朝は、遍照院という真言宗智山派のお寺。ストーブが焚かれた本堂は温かくてありがたい。落ち着いた護摩壇があり、きちんと日々厳修されていることが感じられる。お不動さんが本尊なので、のーまくさまんだーばーざらだん……と不動真言を唱えていた。

すると、住職がやってこられて、親しくお話をしてくださった。とても柔和な方だった。話していると、共通の知りあいが10人くらいいた。東北36不動霊場のことなどを聞きながら、ぼくがいま企画している「神社・寺カフェ」のことなと説明させてもらうと、おおいに感心をしめしてくれた。

つぎに、大館八幡があったので、本殿に入らせてもらう。こちらも落ち着いた空間。なんと国の指定重要文化財。本殿で瞑想していたら、宮司さんが入ってこられて、これからご祈祷をするところだという。古地図のパンフレットをもってきて、説明してくださった。

つぎに日蓮宗のお寺を見つけた。玉円寺という。秋田で日蓮宗とはめずらしい。本堂が閉まっていたので、「参拝させてもらいたいんです」と言うと、住職が出てきて、なんだ?という怪訝な顔。「あんたねー。信者でもないだろうから、やめたほうがいい」と言う。

そこを強引に「お題目を唱えてさせていただけますか」と言うと、やれやれという表情で入れてくれた。本堂に上がって、その理由が分かった。日蓮宗とはちがう。日蓮正宗のお寺なのだ。こちらは、かつては創価学会の本山であった富士大石寺の末寺。日蓮正宗創価学会を破門して以来、互いに大喧嘩をつづけている。突然、訪ねてきたりするような輩は、どうせ思い込みの強い学会員か顕正会の信者だろう。論争でも仕掛けにきたんだろうと思われたみたい。

でも、ぼくが大曼荼羅にむかって、お題目を参照すると、その声の響きで、アヤしいものじゃないとわかってもらえた。ゆっくりどうぞ、とストーブを付けてくれた。20分くらい唱題行に集中する。終わるころに、住職が柔和に顔できてくださった。こちらも話をしていたら、20人くらい共通の知りあいがいたので、打ちとけたのだった。

こんなふうに、お堂や本堂に入って、瞑想したり真言となえたり、お題目となえたり、祝詞をよんだりというのが、ぼくの訪ねかただ。かなり図々しいけど。基本、神様と仏様に会いに行くのであって、神主や住職は、そこの神仏に仕える方という認識ではある。まあ、めったにそんなふうに訪ねるひとはいないとおもうけどね。いままでこのやり方で、いろいろな楽しい展開があるのだった。