いまやインドはIT大国となり、毎年6%もの急速な経済成長という。人びとの生活も豊かになった。
だが、そうはいっても、やはりインドである。いまでも遊行する人たちがいる。なに不自由のない暮らしをしていても、晩年になってすべてを捨てて、遊行者となってしまう人たちがいる。それまでの人生をリセットして、一から新しい旅立ちをするかのようである。
「この生が終わってもまた、次なる生がある」という輪廻の考えがあるからではなかろうか。よき来世のためには、よき晩年を送らねばならない、と。
かれらはすべてを捨てて放浪の日々を送る。定住するところはない。もとろん仕事もしない。森に住み聖地を巡礼して過ごす。着るものは一枚の衣があればいい。寝るのは林の中や川のほとりだ。
インドは、遊行者を支える伝統がある。聖地には無料の宿舎(アシュラム)もある。食事の布施もある。遊行者に布施することで、善根を積むと考えられているのだろう。
早朝、何百人もの遊行者たちが群れをなして歩いているのに出くわしたことがある。いったいどこに行くのだろうと後をつけていくと、豪邸に向かっていった。彼らはそこで、食事のもてなしを受けていたのだ。
古来から、人生の最晩年になにもかも捨てて遊行して生を終えるという生き方が、尊敬されるべきものと思われているのだろう。