【⑥スマナサーラ長老外伝 鈴木一生さん】2025.11.11
私は仏教が大好きで、その道を探求してきた。そのきっかけは、創価学会であり、仏法学舎の金田先生であり、スマナサーラ長老だった。
朝日新聞に掲載されていたサークル案内「仏教を正しく学ぶ会」に電話したことが、すべての始まりだった。この電話の相手が鈴木一生さんであり、集いを主催していた。
この出会いを通して、創価学会と日蓮の呪縛から開放され、金田先生から大乗仏教の全般を学び、やがてテーラワーダのスマナサーラ長老にも会うことになっていく。
やがて一生さんが「テーラワーダ協会」を立ち上げ、形にしていった。
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実家は大きな米屋で、私が訪ねたときには10人以上の社員が働いていたと思う。
一生さんは、従業員がてきぱきと働く様子を日常的に見て育った。それゆえ、人をいかに活用し、機能的にいかに組み合わせるかという、経営者的な視点とマインドを自然と身につけていた。
だからこそ、スマナサーラ長老と出会ったとき、一生さんは「この人はすごい」と直感した。この人を中心に協会を作り、維持・発展させていこうと決断したのだろう。
組織を作るには、建物の賃料、人件費、広報誌など、何かと金がかかる。一生さんは最初からビジネス的な発想を持ち、「仏縁を繋ぐための器」づくりを常に考えていた。
私などは親が教師だったから、そういう経営的なマインドは一切なかった。ただ思想的に、宗教的にスマナサーラ長老から学ぼうとしているだけだった。
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一生さんには、仏道を求める心と、どのように広報して人を集め、組織を維持していくかという視点が常にあった。専属の編集者を雇い、毎月のように自費出版の形で長老の説法を本にしていった。やがてそれが現在の出版事業の礎となっていった。
また、いち早く会員制度を導入し、会員と非会員で参加費を区別するなど、その発想と実行力は際立っていた。
ただ、難点を挙げるなら、スマナサーラ長老を一種の「プロダクションのメインキャラクター」のように扱うところがあった。長老はその点、ご不満だったかもしれない。人から言われて動くような方ではなかったからだ。
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やがて1億数千万円の寄付を集め、都内にゴータミー精舎が完成したとき、一生さんは自らの役目は終わったと感じたのだろう。
「ミャンマーに行って出家し、悟りを開く」と話し始めた。「悟りを開くまで帰らない」とか、マハーシシステムが優れているとか、そうした発想自体に既に無理が潜んでいるとは感じていた。
一生さんは、二度も心筋梗塞を起こし、生死の境を彷徨う体験をした。その時、「黒い雲がモクモクと涌いてきた」と言っていた。「『南無釈迦牟尼仏』と唱えられなかった自分はダメだ。このままでは地獄に落ちる。出家して悟りの道を歩むしかない」と強く口にするようになった。
しかし、結局、悟りを得ることは叶わなかった。そしてパオの森林瞑想に出会い、こう宣言した。「こちらこそ正しい瞑想法だ。スマナサーラ長老のマハーシ式は間違っている。ブッダゴーサの『清浄道論』に基づく正しい瞑想法は、パオである」と。
さらには、スマナサーラ長老の瞑想法には未熟な点があり、ヴィパッサナーそのもののアプローチが間違っているようなことまで言い出すに至った。
そのような方向性の変化は、誠に残念でならなかった。
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この「これが正しいか正しくないか」という二元論的なものの見方は、『法華経』を学んでいた頃から既に身についていたものだった。
爾前経と『法華経』を比べれば『法華経』が勝れ、『法華経』の本門と迹門を比べれば本門が正しい、というように。そうした「勝劣思想」が、彼の並外れた行動力と実践力を支えていたとも言える。ただ、その強さが少し方向を誤れば、暴走してしまう危険も併せ持っていた。
最終的には、彼はこう発信するようになった。「スマナサーラ長老のマハーシ式瞑想は間違いである。パオ瞑想のように、色界の禅定を得てから初めて始まるべきものがヴィパッサナーなのであり、いきなりヴィパッサナーを行うのは誤りである」と。
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妻とあかりを連れて東京に行った折、ちょっと寄ってみようかと思った。しかし、「次回でいいや」と先延ばしにしてしまい、結局、なかなか訪ねる機会を持てなかった。
やがて、彼は亡くなられた。ふと気がついた時に、すぐにでも会いに行っておくべきだったと、いつも後悔する。人生には、そんなことが多い。
いずれにせよ、一生さんとの出会いがなければ、私はヴィパッサナーの道へとたどり着くことはなかった。まことにありがたい仏縁であった。
仏教とは、「正しい教え」を探し求める旅ではなく、様々な「縁」をいただきながら、ただ歩き続ける「道」そのものなのかもしれない。