【①スマナサーラ長老の自伝発刊】2025.10.28
スマナサーラ長老の自伝が発刊された。サンガ新社。
4月の発刊予定が延びたのは、予期しないことが連続したからだ。
長老が骨髄ガンで入院、私が特発性間質性肺炎で入院、さらには出版社の編集担当者が脳梗塞になって入院。
まさに無常を実地に生きるような出来事。
そんな障害があったものの、こうして本の形になったのはありがたいこと。
長老も、出版社の編集担当者もわたしも、まだちゃんと生きている。
長年、理知的に理解していたヴィパッサナーが、病を通して初めて「我が事」になっていく――ここに人生の転換点があった。
それは「修行」ではなく、「呼吸そのものが瞑想になってしまった生」への移行。病によって縮小した肉体の世界が、逆説的に自然界全体へと拡張していくともいえるかな。
この本の「あとがき」を編集者である私が書かせてもらった。以下。
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長老とは、30年、40年を超えるお付き合いになる。これまで、本も作らせていただき、たくさんの説法やお話をいただいた。ヴィパッサナー瞑想のワークショップなど、おそらく最初に主催したと思う。30年も前のことだ。
ヴィパッサナーのやり方や、暮らしの中でどう活かせるかは、長老の説法を聞いて頭の中で整理できていると思っていた。
私は長老の来日当初から日本テーラワーダ仏教協会の設立に至る経緯を知る数少ない一人だろう。そんな経緯で私が適役と思われたのだろう。長老の自叙伝の仕事を仰せつかり、長老にインタビューする機会をいただいた。
ゴータミー精舎で、2泊3日のインタビューをさせていただいた。
その頃、台風が近づいていた。帰りの新幹線は途中の新富士駅で停車し、いつ動き出すかわからない。このまま新幹線の中で待ち続けるのがいいのか、あるいはホテルに宿泊するのがいいのか。とても不安な旅だった。
しかもインタビューの数か月前から、空咳が続いていた。初めはコロナの後遺症が長引いているだけと思っていたが、いつまでたっても咳は止まらない。
やがて次第に調子が悪くなり、雑巾がけをするだけで息がゼイゼイするようになった。病院で診てもらうと、肺が真っ白だった。専門医の診断で「特発性間質性肺炎」、指定難病で身体障害者3級とされた。
もはや「旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる」の芭蕉の俳句を、身をもって味わう身体となった。
頭はまだ動くが、体は動かない。階段の昇り降りすら大仕事になりつつある。人と話すときは寝転んで話すような状態だ。
30年、40年も長老の法話を聞きながら、ヴィパッサナーをいかに「我が事」として実践してこなかったかがよくわかった。
そんな折、長老が「東海ダンマサークル」でヴィパッサナー指導に来られると聞き、浜松の山奥から愛知県刈谷市まで出かけた。
長老も体調が優れず、かつてのようにサッサとカッコよく歩けるお体ではない。立ち上がったり坐るのも、よろよろとしてとても大変そうだ。そんなお体で、渾身の指導を頂いた。
それ以来、日々の暮らしの中でヴィパッサナーと慈悲の瞑想を実践するようになった。というより、呼吸が苦しいので、いやおうなく呼吸に意識を向けざるを得ない。いわば強制ヴィパッサナーだ。
私は森の中の一軒家に住んでいる。朝4時半からウグイスが鳴き、5時にシジュウカラ、5時半にカラス、6時にヤマバトが鳴く。夜にはフクロウが鳴く。広大な敷地には、シカ、ヘビ、トカゲ、さまざまな虫たちがいる。
そんな暮らしの中で、ヴィパッサナーと慈悲の瞑想をしながら仕事をしている。
慈悲の瞑想を実践すると、そんな生き物のありようが身近に感じられ、親しみと共感が生まれる。部屋にやってくるカメムシ、ハエ、蛾、ゴキブリすらも。さらには、目には見えない生命体にも親和性を感じる。
これまで私は仏教というものを、他人事として概念的に理解していたことがよくわかる。今回、難病にかかり、ヴィパッサナーを「我が事」として実践しつつ生きるようになった。
いま生きているが、いつか必ず死ぬ日が来る。それもそう遠くないかもしれない。そう思うと、物事がリアリティをもって立ち現れる。無駄なことはどうでもよくなり、執着も消えていくように感じる。とはいえ、悟りの光はまったく現れていないのだが。(以上「あとがき」)
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いまは「死んだらどうなる?」(ビオ・マガジン社:スピ系の月刊誌『anemone』の版元)というスマナサーラ長老の原稿ができあがり、編集工程に入っているところ。
こうして、いろいろと縁のつながり。巡り巡って縁がやってくる。それをきちんとやればまた次に繋がる。いわば「数珠つなぎの人生」みたいなもの。
実践するほどに探求は進む。問いが現れる。問い・探求そのものが自分を引っ張っる。答えはない。答えがないという居心地の悪さのなかを、さらに問い続け、探求し続ける。この姿勢で、死に至るまで問い続け、楽しんでやり続けていくのが人生かなあと思っている。
