過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【⑤長尾先生】 2025.11.7

【⑤長尾先生】 2025.11.7

長尾先生は、東京に来る際、私が暮らしていた国立のアパートの2階を事務所にしていた。
不在の時には、「誰でもいいから、泊まっていいよ」と言われていた。
友人が泊まったこともあれば、タイプの違う霊能者が泊まったこともあった。

テーラワーダ仏教上座部仏教)のスマナサーラ長老も泊まったことがあった。国立で私が主催する「アートエナジー」というセミナーで、ヴィパッサナー瞑想を指導していただいた頃の話で、もう30年ほど前のことだ。

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長老が泊まった数日後に、長尾先生が上京された。
その時、先生にこう聞かれた。

「ここに誰か泊まりましたね。それは構わないんだけど、その方は、私のする瞑想のタイプとはずいぶん異なる瞑想をする人のように思いますが、どうですか?

いや、それがいいとか悪いとかいう話ではなくてね。私のこの感覚が合っているかどうかを確認したいんです」と。

ある人がその場にいたとき、そこに何らかの波動や余韻が残る。エネルギーと言ってもいいかもしれない。
**「不在の痕跡」を通して、その修行の質の違いを浮き彫りになる。**
長尾先生は、そうした微細なものを感じ取ることのできる方だった。

「人がいた」という残留思念や気配だけはなく、その方が実践する「瞑想という行の本質」が空間に刻印される。それは極めて微細な「知的・精神的な痕跡」を感知したともいえる。

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長尾先生は、真言密教の醍醐派の僧侶であり、いわば集中瞑想や霊的な感性を重視するタイプの方だったと思う。
一方、スマナサーラ長老はテーラワーダの方で、その瞑想法はヴィパッサナーであり、「今ここにあるリアリティに立脚し、瞬間瞬間に気づく」というあり方だ。

長尾先生とスマナサーラ長老が顔を合わせる機会はなかった。もし対話があれば、どういう展開になったのか、興味深いことではあった。(続く)