過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

慈悲の瞑想②  通し番号115

※この世界は、サッカーで言えば、うまいことパスを回していくのがいい。パス回しが大切。

自分のところにためないで、お金も情報もアイデアもちょっとした手間も、人のために使う。パスを回していくのが理想的。循環。まあ、そんなところから、慈悲の瞑想もみてみたい。

以下は、スマナサーラ長老の話から。
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この世界は、みんなわがままで自分の利益だけで生きている。かなりきびしい世界だと感じますね。
いってみれば、鬼の集まりみたいなものなんです。
お互いに食いあっている世界です。

自分が相手のことを食いたいから、人々とつき合わなくてはいけない。その世界に入ったとたん、自分も食われる。それはイヤだ、食われない方法はないのか、食うだけの方法はないのか、と思うでしょう。
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それはないんです。
その世界のありようを変えるしかないのです。
食いあうのではなくて、助けあう世界にしようとする。
わたしが相手の心を育ててあげる。すると、相手もわたしの心をを育ててくれる。
たがいに育てあう社会をつくるのです。

自分の仕事は他の人を助ける。他の人も、また別の他の人を助ける。こうなると、それぞれが成長していく。ストレスは消えます。憎しみ怒りも消えてしまいます。
こうして慈しみの心が育っていけば、すべての問題は解決するんです。
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それはあまりに理想的な社会だと思うことでしょう。
だから、自己改革の実践を自分から行うのです。
そのような世界にするために、具体的な道として、「慈悲の瞑想」があるのです。
それは、煩わしいことの多い人間関係で生きていくためにとっても有効な瞑想なんです。