※「人間関係・生命との関係を、慈しみの心で育てていけば、すべての問題は解決する、しっかりと念じることで、いっさいの問題が解決する。すべて見事に奇跡的に、よい方向に回転しはじめる」と言われる。
おお、それはすごい。ということで、解脱に進む方向は私には、なかなか難しいので、まずはこちらから実践していこうとしている現在。
以下は、スマナサーラ長老の話。
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慈悲の瞑想は「生きとし生けるものに慈悲をかけるぞ」というような、えらそうな気分でやるのではありません。自分を治すためにやるんです。自分の心を改善するためにやるんです。
自分を改善したならば、すべての問題はなくなるからです。
そもそも人生の問題というのは、自分の心にある怒り・憎しみ・嫉妬・わがまま・欲望によって、生まれてくるのです。
人間関係・生命との関係を、慈しみの心で育てていけば、すべての問題は解決するのです。そのための瞑想です。
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「生きとし生けるものが幸せでありますように」と、しっかりと念じることで、いっさいの問題が解決します。すべて見事に奇跡的に、よい方向に回転しはじめるのです。「人間関係に困っている」という言葉さえ出てこなくなりますよ。
二週間くらい、朝も午後も集中して徹底的に念じてみてください。人生はどう変わるのか、自ら確認してみてください。あきらかに、自分が変わってくることが実感されますよ。
同時に、相手も変わってきます
たとい変わらなかったとしても、もうそのひととの問題はなくなっているんです。
いままで、このひとは嫌味を言ってきたのに、あれ?もう嫌味を言わなくなったぞ。
そういうことが起きます。
それは、相手が変わったのではなくて、自分が変わったんです。
自分と会った時、相手の人にもうイヤな気分が生まれないので、嫌味を言えなくなったのです。また、これは人間関係に限ったことではありません。すべての生命との関係にもいえることです。
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慈悲の瞑想をしっかりとつづけていけば、奇跡的に事態は変わります。
どうぞためしてみてください。多くの人は、「どうせ、そんなにかんたんにできるわけない」と思うでしょう。しかし、これは確実にできることなのです。
いまお金がないと悩んでいるとします。不満や焦りがあるとします。
そんなときこそ、慈悲の瞑想をしっかりと実践して、慈しみの心をベースに入れ替えてみてください。いつしか、ちゃんと自分の人生が生かされている状態になります。
「月々これくらい必要なのに、足りない」とか「いろいろ手を打っても、なんともならない」「しばらくご飯が食べられない」などと、苦しんでいたとします。
そんなときでも、慈しみの心を育てていってください。そうすれば、そういう問題はすべて消えてしまうのです。慈しみにまかせるのです。慈しみこそ、最強のパワーなのです。
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こういうと、なにか信仰のような神秘的なように思われるかもしれません。しかし、これは心の法則です。科学なんです。神秘的な世界はひとかけらもないんです。
欲心ではじめたとしても、すべてが慈悲だということが心底からわかってくると、すべてうまくいくのです。
慈悲の瞑想で世界の問題は解決します。人間関係やいろんなことで起こるすべての問題は解決します。すべてよい方向へ行くのです。物事は自分にとっていいように回転していきます。どうか実践して、みずから試してみてください。
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社会は親切にしてくれると思っていると、そうはいきません。隣人は親切かというとそんなことはありません。政治は国民の生命・財産を守ってくれるかというと、そんなことはありません。
社会を信じる、政治システムを信じる、神を信じるひとは、あとで悩むことになります。
環境は、自分をやさしく生かしてくれるんものじゃないんです。
環境にとってみれば、一人の存在というのはどうでもいいんです。いてもいなくてもどうでもいいんです。
かといって、生かしてくれない環境に対して攻撃態勢をとると、なおさら、たちまち潰れてしまいます。
だから私たち一人ひとり、一個一個の生命が、しっかりと「生きる」ということをしなければいけないんです。
だから、慈しみというすごいパワーを使うんです。生かしてくれない環境は、慈しみをもつ人に対しては、どうすることもできなくなるのです。
慈しみというのは、すごいパワーなんです。
みるみる智慧が開発されます。安定した幸福が感じられるようになります。
あらゆる〈いのち〉あるものが、みな平等なんです。いつでも一切の生命を慈しむ。差別しない。みな同じ仲間だと思うことです。
「みんなそれぞれが幸せでありますように」という気持ちで生きてみてください。小さな昆虫、小さな微生物から巨大な生命まで、おなじように生命であり、みな仲間なんですね。だれが特別えらいわけでもありません。
神という存在が、特別にえらいわけでもないんです。神であっても、神には神なりの悩み苦しみがあるのです。いつも怒ってイライラしているたり、恨み深いし執念深い。怒りに満ちた神もいます。全知全能の神であっても、計画は何ひとつうまくいかない。また、猫には猫なりの悩みや苦しみがあります。
だから、みんなおなじように「しあわせでありますように」と念じます。神にも人にも動物にも昆虫たちにも、生きとし生けるものすべてに対して念じるのです。