過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

日本の「取り込み性」と「咀嚼力」

神武天皇以来万世一系天皇制がどうのという皇国史観は疲れる。そんなものは神話でしかない。そんなことで日本はすごいと威張るのではなく、もしもすごいというなら、どこにすごさがあるのかを考えている。
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日本は「咀嚼力」がすごい。どんな思想や技術がきても排除しないで、取り入れる。そして咀嚼して、日本なりのものを作ってしまう。中国人の劉揚(りゅうやん)さんが言っていた。なるほどと思った。

日本は中国から漢字を取り入れ、それを読み下し文にし、さらにはひらがなやカタカナを作ってしまう。また、江戸時代、黒船が浦賀にきて大騒ぎになるが(1853年)、数年後、宇和島藩は自分たちで蒸気船を作ってしまう(1859年)。

磯田道史さんの『日本史の内幕』(中央公論新社)を読んでいて、日本の「取り込み性」というものが大きい。そして、「寺子屋と出版文化に底力があった」のかもと思った。以下、一部抜き書きして引用する。
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日本人が庶民まで文字を知り、知識豊富なのは当時から知られていた。日本人が「知の世俗化」をはやくから達成したことが大きい。

日本では「寺子屋」なるものが発明された。牛若丸のように、寺社に数年住み込まなくても、世俗で通学教育をうけられるこの仕組みで、識字率が一挙に高まった。読み書き・そろばんぐらいなら、家庭でも教育するようになり、宗教的、超自然的な話だけではなく、実学を庶民が学んで合理的な考えをもつ日本人がつくられてきた。

江戸時代の日本では、エリートばかりか、庶民が家庭教育ですでに子弟の「啓蒙」を完了していた。ずぬけたリーダーや知の巨人は生まれにくいが、日本は、今日において一般人の常識的知識の発達した国である。江戸時代の歴史が財産になっているといっていい。
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日本では仮名交じりの木版出版文化で、本で女性や庶民へ実学が広がった。識字率の高い、労働力の質の高い社会ができあがった。

いわば「本」こそが日本を作ったといってよい。大砲が日本を作ったのではない。すぐに大砲も自動車も自前で作れるようになったが、この日本人の基礎教養は、長い時間をかけて「本」が作り上げた。この点が重要である。
幕末の日本もまた、「本」が動かしたといってよい。

長州も薩摩も、松陰や西郷が動かしているように見えて、実は「本」が彼らを動かしていた。「取り込み性」という日本人の特性がいかんなく発揮されている。漢学、国学蘭学、洋学、何でも貪欲に取り込んでいく日本社会では、昔から「本」が主役であった。

日本が独立を保ってこられたのは、自らの出版文化を持ち独自の思想と情報の交流が行われたからである。