過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

自分なりの「無常」的生き方

「会ってみよう」「話してみよう」「やってみよう」というひらめきがある時こそが、最良のタイミング。

ひらめいたものの、その時、まだ準備ができていない。気分が優れていない。相手の事情もある。なので、「こんどまたの機会に」「次の機会でもいいか。明日もあるし、明後日もあるし」。

……なあんて言っているとき、機会を失った場合が幾度もあった。

状況は刻々と変わるのだ。相手が死ぬかもしれない。なにより、自分が死ぬかもしれない。ひらめいたときこそ最良のタイミング。不完全でいいんだ。崩れてていいんだ。それが自分なんだし。なにより、「そのとき」は、もう二度と訪れない。

そんな感じの生き方になってきたよ。なので、一貫性とか、継続性とかは二の次になっている。だって、変化することがベースなんだから。自分なんてコロコロ変わるんだから。それはそれでよしとする人生になってきている。

自分なりの「無常」的生き方。