過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「天皇」に「基本的人権は、あるのか?」

天皇が交代して、令和元年。そういえば、昨日は憲法記念日だった。なので憲法について、すこし考えてみた。頭の整理のために書いてみた。たまに小難しいことを、整理してみたくなる。
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日本は「法治国家だ」。あらゆることの決めごとは、法律に根拠がある。その法律の大本にあるのが、憲法だ。最高法規といわれる。
憲法が土台となって、あらゆる法律、条例、規則がつくられる。ので、憲法に違反したら、それらは効力がないということになる。
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この「憲法」は、敗戦によって、アメリカの占領政策のもとで作られた。
その柱は三つ。「国民主権」「基本的人権の尊重」「絶対平和主義」。
国民主権」……戦前の主権は、天皇にあった、国民に主権はなかった。天皇が「国体」であった。「神」であり「絶対」であった。「天皇陛下万歳」と叫んで、突撃して死んでいくような国家でもあった。
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しかし、戦争に敗れて、天皇は「現人神」(あらひとがみ)から「人間」となった。国民の前に宣言した。天皇は戦犯として絞首刑にならず、「象徴」となった。
その代わり、日本は戦争放棄条項を受け入れたわけだ。アメリカが、米ソ冷戦を睨んで、日本を反共の防波堤として存在させるため、人心掌握のために天皇制を活かしたとみることもできる。
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基本的人権の尊重」……その「天皇」に「基本的人権は、あるのか?」
そう問うてみると、「ある」とは思えない。天皇は、人敵人権のいわば「飛び地」になっている。
「象徴としての天皇なんて嫌だ、やめたい。自由にさせてくれ」と天皇が言っても、おそらく許されない。天皇には、職業選択の自由も、信仰の自由も、表現の自由もあるようには思えない。
天皇という身分制」がのこっている意味において、「法の下の平等ではない」。例外規定だ。
ある意味では、「象徴天皇制」として、「天皇」を犠牲にして、日本の民主主義が成り立っているということもできようか。
戦前「天皇機関説」というのがあったが、人権において「天皇飛び地説」とでも言おうか。
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「絶対平和主義」……「戦争放棄」し「戦力を持たいない」と定めたのに、「自衛隊」という軍隊がある。いまや防衛費予算は、世界で10位以内に入っている。
このように、国の基底にある「憲法」が、現実と整合性がともなわない。骨抜きになっている。最高法規であり、いちばんえらい憲法の柱がきっちりしていなともいえる。
となると、そこから派生するあらゆる法律、条例、きめごとも、ぐらぐらと揺れることになるのかな。