過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

戦後の占領政策と創価

「池谷さん、いま統一教会が話題になっているんだけど、いちばんこわいのは創価学会と思う」と。昨日、四万十の山奥に住む友人とやりとりした。
うん、たしかに、創価学会こそあなどれない。ぼくはやがて創価学会が天下を取るんじゃないかと思うほど。

なにしろ創価の人材ネットワークは、統一教会の比ではない。信徒数も一千万人を超える、選挙をしたら600〜800万票は取る。公明党は政権与党にいる。
すごいのは、政治、官僚、司法、マスコミ、芸能、経済、教育あらゆる分野にたいへんな人材を擁することだ。

というわけで、戦後史と創価学会、その歴史をざっと俯瞰してみた。

①「戦後の日本占領政策天皇

日本は無条件降伏。やがて占領軍(GHQ)に「反共の防波堤」として位置づけられていく。天皇はそのために守られる。

天皇を貴重な同盟者あるいは傀儡として使用可能な状態に温存する」(エドウィン・ライシャワー1942年 『対日政策に関する覚書』)

マッカーサーの頭の中にあったのは「まず軍事力を粉砕する。次いで戦争犯罪者を処罰し、代表制に基づく政治形態を築き上げる。憲法を近代化する。自由選挙を行い、婦人に参政権を与える。政治犯を釈放し、農民を解放する。自由な労働運動を育てあげ、自由経済を促進し、警察による弾圧を廃止する。自由で責任ある新聞を育てる。教育を自由化し、政治的権力の集中排除を進める。そして宗教と国家を分離する」

②「占領軍は、官僚を掌握して間接統治を始める」

占領軍(GHQ)官僚を通して傀儡政権を作る。その中核にしたのは岸信介だ。

東京裁判による処刑が行われた翌日の1948年12月24日、GHQは、まだ裁判に入っていなかった岸信介などA級戦犯容疑者19人を不起訴と決定し、釈放した。岸は戦前・戦中の官僚のトップクラスだ。岸を通して官僚を動かし間接統治をしていくことになる。岸は、いわばGHQのエージェントだ。

こうした流れが今も続いている。「日米合同委員会」などにより、日本の制作はアメリカの軍人と日本の官僚のトップクラスで決められていく。政治家たちはお飾り。すなわち、日本はずっとアメリカの占領下、支配下にある。かたちだけ民主主義の体裁をとっているだけ。

③「反共の防波堤の日本と新興宗教

岸信介と、勝共連合=統一教会は密接。統一教会は、GHQの反共政策の中で、岸を通して温存されてきた思う。それはある意味では、霊友会も、立正佼成会も、創価学会などの新興宗教も同様と思う。GHQの指令によって、それまでの宗教団体法が廃止され、同時に宗教法人令が公布されたのは1945年。なお、勝共連合久保木修己会長は立正佼成会会長秘書をしていた。

④「岸信介創価学会の関係」

戸田城聖は、日蓮正宗の総本山大石寺へ大講堂を寄進。学会では「大講堂落慶記念総登山」と呼び延べ20万人余の会員が参加。その法要に岸が出席することになった。戸田はこれを「広宣流布の模擬試験」と位置づけた。

すなわち国家のトップが大石寺を参拝するのである。これは、日蓮の著したとされる三大秘法抄「戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣 ...  大梵天王・帝釈等も来下して蹋(ふみ)給うべき戒壇なり」の模範となるのだ。

唯一正しい日蓮正宗=創価学会の礼拝施設に、一国のトップが参拝するのだ。だから、「広宣流布の模擬試験」として予備、青年部員6,000人を全国から呼び集めた。

しかし、あまりにその創価学会の勢いがすごく、岸は宗教団体にまきこまれることを躊躇した。参拝のために箱根まで来たが、急遽、引き返す。代理で訪れたのは首相夫人と娘、そして婿の安倍晋太郎安倍晋三の父)であった。

このシリーズは続く。