過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

プラスとマイナス

あかりの幼稚園は午前中まで。そこから、託児所に連れていく。16時までみてもらっている。そこは養護施設のスペースを借りてた保育の委託事業を行っている。そこに行くと、ちょうど中1の少年がいた。机に向かって勉強している。
声をかけた。はきはきして明るい。よく農作業もしている。数学の勉強していた。 中1の数学ってどんなレベルなのか、教科書を借りて読んでみた。
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ぼくは元々、数学は苦手であった。計算できても文章問題となると、「できない」と決めつけてしまったところがある。 しかし、晩年になってきて数学の文章問題は面白いと思うようになった。頭の体操になるわけだ。
そういえば、東大に入った友人などは、「数学はパズル」と言っていた。文系の勉強をした時の気分転換に数学をやったという。 こちらは、はやばやと数学は諦めて私立文系に絞ってしまったので、しばらく数学は苦手であった。
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その中1の教科書を見ると、いきなり「正」と「負」の概念が出てくる。彼は、プラスとマイナスの意味が分からない。機械的に計算はできても、基本的な概念の理解は、これはとても難しい。
マイナスとマイナスを足すと、マイナスとなる。プラスとマイナスを足すと、プラスからマイナスが引かれる。答えがマイナスになることもある。掛け算・割り算が入ると、さらにわかりにくい。
かれには、こう教えた。
これは「基準」ということがポイントだね。どこに基準を置くか、なにを基準に置くかによって、プラスにもなり、マイナスにもなる。
ゼロというものを基準にするので、ゼロより大きい実数がプラス、ゼロよりも小さい実数がマイナスだ。
富士山の頂上を基準(ゼロ)にすれば、ここの土地はマイナス何千メートルとなる。エベレストを基準(ゼロ)にすれば富士山はマイナス三千メートルくらいになる。どこに基準を置くかによって、プラスにもなればマイナスにもなる。そんなことを話したのだった。
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ところで、きょうはあかりの尿検査というので、思い出した。そういえば、尿検査で要検査となり、腎臓病で倒れた友人がいた。彼は中1で亡くなった。そのお兄さんもまた、翌年、川で溺れて亡くなった。残されたのは妹だけであった。とても気の毒でかわいそうなことである。だが、その家としては妹が残されたことは、幸いとも考えられる。
一流大学を出た同期がみんな出世して高額所得、悠々自適の人生である。そういうところから見ると、いま人生はマイナスである。 しかし、こうして山里に移住し、なんとか生けている。家族は健康であり、子供もとても元気だ。貧乏暇なしも、プラスととらえることができる。
どんなところに人生の基準を置くか。基準の置き方によってプラスにもなればマイナスにもなる。そんなことを、中1の数学の教科書をパラパラと見て思ったのであった。
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ともあれ、毎日、こうして生きている。生かされている人生、なにが起きても、どうであってもすべてプラスともいえる。
たとい死んだとしても、マイナスではない。それは、ゼロともいえる。nothingness(なにもない)、emptyness(空虚、空っぽ)でもある。そしてゼロとは、無限の可能性を含んだもの、ともいえるか。