過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

マインドフルネスが聖教新聞にも実践倫理宏正会にも

マインドフルネスという言葉が、かなり普及してきている。
書店に行くと、マインドフルネス関係の本がならんでいる。

マインドフルネスとは、「いまここ」の瞬間に気づいている、というような意味だ。人生は、いまここの瞬間しかないわけで、過去も未来もない。まさに、いまここにいる瞬間、そこにたえず気づいているというのが、いわばマインドフルネス。

マインドフルネスは、宗教でもなく、特定の教義や思想でもない。人生の瞬間瞬間のありようともいえる。
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きょう二人の方が訪れた。「実践倫理宏正会」の方で、機関誌を持ってきてくれた。実践倫理宏正会は、いわば「早起き会」で、朝の5時くらいに集っては、一日の生き方の覚悟というか、決意を述べる。ぼくも、東京暮らしの時、一度だけ出たことがある。

その機関誌「倫風」を読んでみたら、「脳磨き六つのポイント」として、その5番目に「マインドフルネス(脳トレ座禅)を行う」とあった。「いまここ」に意識を集中させてみようと書いてある。

それから、創価学会の機関誌「聖教新聞」は、利用者さんのところから一部もらって毎日、読んでいる。雨降りのなか、日々のトレーニングとして散歩しましょうみたいな記事で「マインドフルネス」と出てきた。「いまここ」に意識を集中させて歩いてみよう、というような内容だった。
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こうして、みんなマインドフルネスと言い出している。ブームと言えばブームだが、定着感はある。しかし、まあ、その実践法を適確に述べているわけでもない。実践法となると、やはりテーラワーダ仏教のヴィパッサナー(自己観察、気づきの瞑想)の実践が基軸になると思う。