過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

創作していて、言語感覚が磨かれることは、間違いない。

小説を書け、エッセイを書けというと、素人にはとても難しい。最初の数行だけでも読めば、その力量はすぐに分かってしまう。プロとアマの差は歴然。

けれども俳句は、達人も素人も、その差がわかりにくい。

芭蕉、蕪村、一茶、子規、虚子……これらが俳句の巨人と呼ばれるだろうか。

その名を示さず句をランダムに並べてみよう(人口に膾炙した句は除いて)。そのなかにド素人の俳句も、いくつか混ぜる。

さあどれがすばらしいか、というと俄にはわからない。ぼくなどには。

俳句は素人がすぐにはじめられる。原稿用紙もいらない。頭の中だけでいい。歩きながらでも、寝ながらでも、食事しながらでもできる。大人も子どもも、瀕死の病人だってできるかも。

俳句はだれでも踏み込める創作。ハードルは低い。ま、芸術的な領域にいたろうとすると、そこは難しいけれど。

じつは「ねんりんぴっく」という60歳以上の祭典があって、それに俳句や川柳部門がある。地区大会に選ばれると、全国大会で、今年は富山県で行われる。そこに挑戦しようと思い立った次第。

まあ、きっかけはなんでもいいわけで、はじめる、つづけることがたいせつ。創作していて、言語感覚が磨かれることは、間違いない。