【卒業できないという悪夢】2025.07.8
「ん? 池谷……。ああ、お前はもう名簿から削除されている。悪いけど、もう一年やれ」
名簿を見せてもらうと、私の名前には赤い二重線が引かれていた。
「えっ、そんな……。先生、就職が決まってるんです。お願いします!」
「そんなこと知るもんか。出席しないやつに単位はやらん」
「そこをなんとか、お願いします!」
「ダメだ」
そんなやりとりをした。
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伊東市長の学歴詐称のニュースを見て、ふと思い出した。私がなんとか卒業できた、綱渡りのような体験だ。
当時は「青田買い禁止」の協定があり、企業訪問の解禁日は10月1日だった。
その日に一流企業へ行くのが話題で、たとえば東京海上火災保険などの名前が挙がっていた。私は特に深く考えず、「いい会社」「有名な会社」「カッコいい会社」がいいという安直な価値観だった。
三井物産、ソニー、朝日新聞など、脈絡なく一流と言われる企業を訪問していた。そして、幸い地元の有名企業(楽器製造)に就職が決まった。
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しかし、就職が決まってからが大変だった。なにしろ留年していたし、そもそも大学の授業に出ていなかった。
2年生でクリアすべき語学の単位が残っていて、英語とドイツ語の4科目が不足していた。4科目だよ! これは大問題だ。
語学の単位は出席日数が厳格に求められる。授業にはほとんど出ず、就職が決まった11月になって初めて教室に顔を出した始末。
ドイツ語の授業でのことだ。先生が出欠を取るが、私の名前は呼ばれない。授業後、先生に「あの、名前が呼ばれてなかったんですけど」と尋ねると、「お前はもう完全にアウトだ」と問題外扱いだった。
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必死に懇願する私を見て、先生も哀れに思ったのか、「あとで研究室に来い」と言ってくれた。
先生は「この教科書のここからここまでをやってこい」と指示してくれた。
それから私はドイツ語の基礎から必死に勉強し、毎日研究室に通った。
「こんなんじゃダメだ。もう一度やり直してこい」そう言われながらも毎日通い、なんとか単位をもらえた。
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私は法学部に在籍していた。試験はいつも一夜漬けみたいなもので、大学の前の書店で売っていた「○○先生はこんな問題を出す」という過去問集を頼りにヤマを張って切り抜けてきた。
だが、授業に出ていない私にとって、刑事訴訟法、民事訴訟法、行政法などの単位を取るのは絶望的だった。
そこへ、ありがたいことに学費値上げ反対闘争が起きた。
全学では「革マル」、法学部では民青が主導し、無期限ストライキに突入した。「4年生はレポートで単位を認める」となった。
そこで、司法試験を目指す東大の優秀な友人N君にレポートをお願いし、なんとか単位をクリアした。ありがとう、N君! そんなこんなで、なんとか卒業して就職できた。就職後も、「卒業できないのでは?」という夢を何度も見たよ。入学式も卒業式も出なかったが、大学の事務所で卒業証書はしっかりもらってきた。
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そんな自分の体験から考えると、伊東市長の「目の前に卒業証書と在籍証明書、4年間の証明書があるという事実は間違いない」と言いながら、「実は卒業していなかったとわかった」という主張は、なんとも奇妙だ。自分が卒業したかどうかは、普通わかるものだろう。
まあともあれ、親にはまことに申し訳ない大学時代だった。
結論として、好きなことを学ぶのが大事だ。私などは、仏教や宗教が好きなんだから、そういうところに入っていたら、毎日が楽しい学びの日々だったろうなあ、と。
好きでもないのに、「就職に有利」とか「つぶしがきく」とか「偏差値が高いから」とかで大学に入っても、ろくなことはない。
今の時代、学校は小学校で十分。いい友達とAIがあれば、自分でどんどん学んでいける。そして、なんでも体験をしていくことが大切と思う。