友人と話していて、いつも共通の先輩のことで、あの人はすごいね。しかし、わらっちゃうよね。こんなおかしいことがあったよ。そうだねー、こんなことも。あんなことも。と、いつもサカナにして楽しませてもらった先輩がいた。
しかし、先日、その先輩が亡くなった。急な死であった。亡くなると、もう笑えない。そうして、あの人はすごかったね。ここが立派だったね、ということになる。
「棺(かん)を蓋(おお)いて事(こと)定まる」と。生前の評価はいろいろな思惑があって正当ではない。人は死んで棺に入れられ、棺の蓋が閉められて、はじめてその評価が決まる、と。
ともあれ、死んでしまうともう二度と会えない。やりとりができない。そこで止まったまま。あのとき、ちょっと寄って会っておけばよかった。お礼をいうのを忘れていた。残念だという思いはある。
丈夫蓋棺事始定 丈夫 棺を蓋いて事始めて定まる
君今幸未成老翁 君今幸いに未だ老翁と成らず
何恨憔悴在山中 何ぞ恨まん 憔悴して山中に在ることを
深山窮谷不可処 深山窮谷には処る可からず
この言葉の原典は、杜甫の「君見ずや、蘇徯(ソケイ)に簡するの詩」らしい。おまえさんは、まだ若い若い。意気消沈して山奥に籠ったりしてはいけないよ。死ぬまでまだ時間がたっぷりあるのだから、しっかり自分を磨いていきなさい、と。それが趣旨のようだ。