過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

明日のことまで思い悩むな。日のことは明日みずからが思い悩む。

心配や悩みっていうのは、生きているうちは尽きない。そうして、これがつきまとう。夜になると、肥大化していく。いわばとりこし苦労、さき案じ。夜になると膨らんでいく。この悩みがこのままずっと続くのかと思ってしまう。先へ先へと際限なく不安を広げていく。これらは妄想なんだろうけど。

でも、悩んだりつらいことがあっても、とにかく寝てしまう。寝よう。朝になれば新しい道が開ける。朝、目覚めれば、かなりのとりこし苦労がなくなっている。朝のエネルギーはとってもたいせつ。そういうことは、毎日、体験していることである。

After all, tomorrow is another day.

名作「風と共に去りぬ」のラストシーンは、この言葉で幕を閉じる。レットに捨てられたスカーレットは、絶望にうちひしがれる。が、持ち前のたくましさで、つぶやく。「故郷のタラに帰ろう。帰ってから、レットを取り戻す方法を考えればいい」と。

明日は、今日とはまったく別な日なんだ。明日は、明日の風が吹く。明日のことまで思い悩むな。どんなにつらくても、明日になれば、きっとなんとかなる、と。

背景には、イエスの言葉があると思う。「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日みずからが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイによる福音書6章)

この言葉だけとらえると、刹那的なケセラセラ的な生き方にみえる。けれども、次のようにもいえる。

この一日の苦労、心労というのは、やはりたいへんものである。その日一日をかけて苦労するのに十分なほどである。明日のことを思うわずらうほど、余裕があることじゃあない。この一日の苦労をしっかりと味わうがいい、と。

ということで、いま背負っている重荷をしっかりと味わい、しっかりと処理して、今日一日を、味わい尽くす。そういう一日一日でありたい。背負いきれない重荷は与えられていないと、そう思って。しかし、たくさん重荷があるなあ……。