過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

大きくは「死後の霊魂を認めるか、認めないか」という見方

ざっくり仏教を見ていこうと思っている。

仏教と一口に言っても、たとえば、釈迦の説いた教えかそうでないか。顕教密教か。一神教多神教か。自力か他力か、祈るか祈らないか、などなど。ものすごく大ざっぱに分類してみながら、その本質をみていきたい。

で、大きくは「死後の霊魂を認めるか、認めないか」という見方もある。

ブッダは、死後のことは語らなかった。霊魂のあるなしは論じなかったと言われる。けれども、輪廻はみとめている。輪廻する主体は、みとめている。生死・生死と繰り返すことが苦であり、そこからの脱却が、すなわち解脱であると説く。

日本仏教にあって、「霊魂を認めない」という代表は、浄土真宗禅宗もみとめていない。死後はないともいう。他の宗派はおおむねみとめている。ところが、ここで難しい。

霊魂がない、あるいは死後はないとしながらも、「極楽往生する」という。では、往生する主体は誰なのか、ということになる。霊魂はない。けれども、我はある、いる、ということか。よくわからない。

そうして、やはり回忌法要もいとなむ。先祖供養もみとめている。位牌もある。このあたり、矛盾していると思うのだが。よくわからない。真宗の方に、わかりやすく説明してもらうとありがたいところ。