過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

日蓮は魂魄を佐渡の地にとどめて書いた

人は死ねば、魄(肉体)は地に還る。心(魂)は天に昇ると考えられていた。これは、いわば古代中国の思想である。

けれども、天にのぼらない魂がある。それは、この世に伝えたい、うったえたいことがあるとき、天に昇らないで地にとどまる。

日蓮にこういう手紙がある。「日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ。此は魂魄佐土の国にいたりて、返る年の二月雪中にしるして、有縁の弟子へをくれば、をそろしくてをそろしからず。みん人、いかにをぢぬらむ」(法華初心成仏抄)

かつて日蓮といった者は、去年の九月十二日、子丑の時刻に頚をはねられた。死んだのだ。けれども、日蓮の魂魄は、佐渡の国にいたりこの書(開目抄)をあらわしたのである。弟子たちにこの書をおくったならば、死んだはずの者からの手紙なので、さぞや驚き恐ろしがるだろう。

魂がこの地にとどまって書いた。魂魄を込めてあらわしたのである。名付けて「開目抄」という。ほんらいの仏の心にたちかえって目を開けてあらわした書である。世の人々の目を開かしむる書である。読んだものは目を覚ますだろう。(池谷の超訳

実際のところ、日蓮は死んではいない。死罪になるところ、とりやめになった。日蓮はけっして首をはねられたわけではない。ちゃんと生きて佐渡に流されて、雪中の庵で書いたものである。これはいわば修辞的な表現である。

いっぽう、すさまじい恨みを残して、魂魄をこの地にとどめたといわれる人たちがいる。古くは、平将門。あるいは、崇徳院後鳥羽院後醍醐天皇。また、この話は別の機会に。