過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

先祖供養の意義があるとしたら、二つ。

先祖供養に意義があるとしたら、二つ。

ひとつは、先祖への感謝。自分につながるいのちに対する感謝。

この世に生を受けたのは、あなたたちのおかげです。ここまで、生かさせてもらって、ありがとうございます。みんなに喜んでもらえるような、清々とした生き方をします。ご安心ください。これからも、わたしたちを見守ってください。

……そういう感謝の念をおくる。あるいは、しっかり生きていきますという誓願ともいえる。

もうひとつは、苦しんでいる先祖に対する救い。

餓鬼道に堕ちて苦しんでいる先祖がいたとする。執着や憎しみが強くて、その念だけでながく存続している者たちがあるとする。かれらの苦しみを救えるとしたら、血統に縁のある子孫である。なので、供養することで救おうとする。

かれらは、つらいよー、苦しいよーとうったえる。わめく。振動する。それが、子孫に共振して、なんらかの不具合が現れる。ものごとがうまくいかない。そのために、様々な障りが現れる。そこで、かれらを供養しなくちゃいけない。

血統的な子孫とともに、暮らしている土地的な縁としてもあらわれる。その土地に執着している餓鬼たちがいたとして、かれらがうったえる。すると、自分の暮らしに不調が出る。そんなこともあるのかもしれない。

では、そのための供養とは何があるのか。どうしたらいいのかは、また別に論じてみたい。