過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

聖書のなかで印象に残ることのいくつか

クリスマスということで、聖書のなかで印象に残ることのいくつかを▲イエスは翌日、自らが十字架にかけられ死ぬであろうことは予見していた。オリーブ山のふもとにあるゲッセマネの丘で神に祈りつづける。最後の祈りだ▲死は恐ろしい。苦しい。逃げ出したい。ただ神に祈る。祈りつつづけていく中で、さいごには、神のはからいのままに、ということで終わる▲「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように」。

弟子たちには、祈りの間、ちゃんと目を覚ましていなさいと命じていた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一緒に目を覚ましていなさい」と。しかし、弟子たちは眠りこけてしまっていた▲イエスは、一番弟子のペテロが、逃げ出すことを知っていた。「お前は、わたしのことを知らないと三度いうのだ、その時にニワトリがなく」と予言する。「とんでもありません。師と一緒に死ぬようなことがあっても、師を否定するようなことは、けっしてありません」とペテロは断言する。他の弟子も、同じように言った。

そうして、イエスが捕らえられた。弟子たちは一斉に逃げ出した。「お前はあのイエスといつもいたな」と人々がいう。仲間とみなされたら、捕らえられてしまう▲ペテロは「ちがうちがう、そんな人は知らない」と三度言う。すると、その時ニワトリがなく。ペテロは、イエスが、晩餐の時に、予言したことを思い出す。そうして、ひとりはげしく泣いた▲イエスが必死の祈りの時に、眠りこけてしまう弟子。師が殺されようとするときに、その人は知らないと否定して逃げ出してまう弟子たち。そのような弟子たちが、イエスの死後、殉教してまで、イエスの教えを広めていく。