過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

雨音を聴きながら、自分の心をたずねてみましたか

雨音を聞くといつも思い出される。それは、ぼくの心のお師匠さんのはなし▲その方は、毎月18日になると、庵で一人ひとりに出あって声をかけてくだ さる。ときには大勢の方が訪れると、深夜になってしまうこともたびたび。けれども、いくら深夜になっても、一人ひとりに手をとって、語りかけてくださる。 疲れなど微塵もみせない。お金などいっさいとらない▲あるとき、長い雨のなか、ずっと何時間も待ち続けていた。やっと順番が来た時、こんなことを語ってく ださった。

「今日はゆっくり雨音を聴きながら、自分の心をたずねてみましたか。この庵にご縁をいただいて、自然体の深い心をたくさんいただきましたね。いまあなたが、いろいろ活動のなかで頑張っているのを、ちゃんと後ろから見守っていますよ。

今の人たちはとっても愛を求めています。とっても優しさを求めています。優しさが、やはりみんなの心に欠けているんですね。だから、みんなの 心に温かいものを結んであげて下さい。あなたが人に結ぶものは優しさです、いたわりですね。めずらしいこと、不思議なことではなく、あたたかい心、あたか い言葉、あたたかい物語をみんなにおつなぎしていくのですよ。

静かに雨音を聴き、自分の中にある優しさに問いかけながら、これから一つひとつ読み物をつくらせてもらうんですよ。どうか人に分かりやすく伝えて下さい。どんな人にも、なんにも分からない人にも、いいねえと言われるような、すてきな読み物をおつなぎ下さいね」

ぼくは毎月、その庵に通うたびに、少しずつ、少しずつ、こだわりが溶けていくような思いをしたものだ。だが、指導していただいたことは、いまだにひとつとして実践できていない。もう20年も前のことになる。