過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

幼い子には、聖霊がつねに訪れている

父親にとって、女の子は可愛い。メロメロになるわよ。幼い時には、うちの子は神童じゃないかって思うんですよ。……そう言われた。一か月検診の帰り、銀行振込の待ち時間、あかりを連れて行ったあさの洋品店で。

ぼくには、そんな期待もメロメロ感もない。それは、まだあかりがぼくのことを父親と認識できていないし、ほとんど眠ってばかりだからか。やがて笑うようになって、這ったり、おしゃべりもするようになったら、ずいぶんとちがってくるかな。

あかりのいまの仕事は、ほとんど眠ること。泣くこと。おっぱいを飲むこと。排便すること。外見ではそのようにほとんど動きがない。けれども、頭のなかの脳細胞は、ものすごく活発にシナプスが結びついて情報処理をしているんだろう。あかりの一日は、ぼくたちの10年分くらいかもしれない。

幼い子には、聖霊がつねに訪れている。みんな詩人であり大芸術家の魂を持っているんだろうな。表現する道具はみんな等しく与えられている。そうして世界には素材が満ちている。けれども、表現する道具の使い方を知らない。磨かない。学ばない。そういうことかな。