過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

こんな夢をみた

夢をみた。こんな夢だった▲ぼくは巨大な建物のホールにいた。突然、天井からすこしずつ崩れだした。レンガが一つひとつ、落ちてくる。危ない。部屋に逃げ込む。そこにもレンガが落ちてくる。窓を破って脱出しよう。椅子で窓ガラスを割る▲しかし、鉄の網があって、破れない。レンガが落ちてくる。危ない……。というところで目が覚めた。

こういう夢を解釈しようとすると、二つの方向がある▲自分の中で、自分の周りでなにか瓦解がはじまっているという予兆。だから、気をつけなさいよ、ということ▲もう一つ。なにかが新しく生まれるためには、古いものが壊れなければならない。とらわれていたもの、縛られていたものが壊れていく。それは、新しい動きが起きていく予兆なんだよ、と。

「死にたい」という人がいたとする。この人はもう人生に絶望していて、つらいんだろうな、気の毒に、とみる見方がある▲そしてもういっぽうでは、この人は新しい自分を生み出したいんだ。だから、古い自分、これまでのとらわれていた自分をやめたいんだ。そういう見方もできる▲破壊とか衰退とか、ひとつのかなしみではある。しかし、もうひとつのすがたは、あたらしい創造といえる。しかし、生み出される過程において、かなりの傷みや恐怖がともなうことは避けられない、ということがある。

夢というのは、みたことは覚えていても、内容は覚えてないことがほとんどだ。ただ、目覚めた瞬間には、よく覚えていることもある▲かつては、枕もとにスケッチブックを置いて、すぐに絵にしていたことがある。イメージ画にすると、夢の本質的なものを表現しやすい▲描いておくと、自己発見のいい素材になる。その時には、夢の意味がわからなくても、ずっと後で見たときに、ああ、なるほどと、わかることがある。そこがおもしろい。